風水の歴史は古く、中国の殷(いん)・周(しゅう)の時代に始まったといわれています。
殷・周といえば紀元前1000年以前ですから、すでにその頃、人類は自然現象と人間の運命を結びつけようとしていたわけですね。
古代バビロニアで生まれた占星術も紀元前2000年頃が起源と言われています。
ただし、当時は風水と呼んでいたわけではなく「卜宅(ぼくたく)」と呼ばれていたそうです。 続きを読む 風水の起源は?
風水の歴史は古く、中国の殷(いん)・周(しゅう)の時代に始まったといわれています。
殷・周といえば紀元前1000年以前ですから、すでにその頃、人類は自然現象と人間の運命を結びつけようとしていたわけですね。
古代バビロニアで生まれた占星術も紀元前2000年頃が起源と言われています。
ただし、当時は風水と呼んでいたわけではなく「卜宅(ぼくたく)」と呼ばれていたそうです。 続きを読む 風水の起源は?
最初は地相学だった卜宅、のちに風水と呼ばれるようになるのは普の時代。
つまり三国志の後のことですね。
すでに西洋ではグレゴリオ暦が完成しており、普の時代は紀元265~420年頃といわれています。
卜宅は現在から見れば確かに地相学としての因果関係を表わしていますが、当時はあくまで占術のひとつであり、卜(ぼく)は人が関わる事柄を占うという意味があります。 続きを読む 風水という言葉が最初に出た文献は?
卜宅、つまり風水とは別に中国では春秋戦国時代頃から森羅万象の成り立ちを説く陰陽思想が生まれています。
紀元前770年頃から紀元前221年頃までの時代ですね。
日本でも古事記や日本書紀には世界の始まりが大地と海と空が混濁(大地はまだ柔らかく水に浮く脂のように、クラゲのように漂っていた)した状態と記されていたし、ギリシア神話でも混沌が初期世界であったように、陰陽思想もすべては混沌の中から陽の気が生まれて天になり、陰の気が沈んで大地になった、というところから始まります。 続きを読む 風水の元になる陰陽思想は誰が最初に考えたの?
古代中国の神話は日本やギリシア、あるいは北欧のように統一されていないので天地創造には諸説ありますが、おおまかに分類すると三皇五帝となり、そのうちの三皇に数えられているのが陰陽思想を説いた伏犠です。
なぜ伏犠と風水が関わるのか、それをこれから説明しましょう。
初期の卜、つまり占事は動物を対象としており、亀の甲羅だとか牛の肩甲骨だとか、そういったものに入ったヒビから物事を占っていましたが、その後、植物の蓍(めどぎ:メドハギまたはノコギリソウのこと)の茎を使った占筮(せんぜい)が主流となります。 続きを読む 易経は誰が著者なの?
陰陽思想から五行説、そして八卦まで考えだしたのが伝説上の神であり皇帝の伏犠。
日本やギリシア神話、北欧神話に登場する神々に負けないくらいの超人です。
中国神話では人類の生活向上のためにあらゆる文化を生み出した人物となっており、当時は紐の結び目で約束事を表わしていた結縄の代わりに文字を考え出し、蜘蛛の巣にならって網を作って漁を教え、天地の理(ことわり)を説くために八卦を描いたといいます。
ギリシア神話のゼウスだとか日本神話の素盞嗚命(スサノオノミコト)のように荒ぶる神様ではなく、文化的側面の強い神様であるところがいいですね。 続きを読む 八卦ってコンピューター言語に似ている?
話を風水に戻しましょう。風水の言葉を最初に使ったのは晋の学者であり卜者であった郭璞。
郭璞は墓地を選ぶ際、最適な場所を選ぶ方法を記した「葬書」も書いたとされています(諸説あり)。
まあ、書いた人が誰であれ、「葬書」は風水における原書的役割となり、後に「隠宅風水」の基礎となりました。
「隠宅」とは墳墓のこと。
死者の居住空間、つまりお墓の位置が正しければ死者は長く幸せになり、その子孫も繁栄するという考え方から隠宅風水が生まれました。 続きを読む 「隠宅」と「陽宅」ってなに?
日本で風水が広まったのは自ら「風水先生」を名乗る小説家であり学者の荒俣宏氏(正確には奥さんの荒俣泰子氏)が1994年に「風水先生 地相占術の驚異」を刊行してからのことです。
つい最近のことですね。
荒俣氏といえばサラリーマン時代から怪奇幻想文学の翻訳を行い、作家となってから「世界幻想文学大系」(全45刊)の編集担当、さらに1985年になると「帝都物語」シリーズなど次々とベストセラーを刊行するなどインテリジェンスのある著名人として有名です。 続きを読む 日本で風水が広まったきっかけは?
荒俣氏の「風水先生 地相占術の驚異」からさかのぼること約30年、風水の本場である台湾から張明澄(ちょうめいちょう)が来日、その後、1972年には帰化して小島聖一という日本名になります。
日本語能力が堪能なこと、学問に秀でていることなどの理由から日本に請われて来日、その張明澄の収得した学問の中に風水があり、日本の風水の原型は張明澄から始まったと言われています。
張明澄の風水は本格的な理気派。 続きを読む 張明澄ってだれ?
本場中国では春秋戦国時代にはすでに風水の起源となる「卜宅」が存在し、晋の時代には陰陽思想を取り入れた隠宅風水や陽宅風水ができていたのに、風水が日本で広まるまで長き時が必要だった理由は風水が確立する宋の時代以前、中国から文化を持ち帰った遣隋使や遣唐使の存在が大きいといえます。
中国の文化や政治統制の方法を日本に持ち帰った遣隋使や遣唐使の知識の中には伏犠が説いた陰陽思想と五行説を組み合わせた陰陽五行説も入っていました。 続きを読む なぜ日本に風水は定着しなかったの?
日本独自の陰陽五行説を司る陰陽師はその後、紆余曲折します。
これが本格的な風水の定着を拒む要因にもなりました。
平安時代に入ると貴族や朝廷は悪霊や厄災から逃れるために陰陽師を大切に扱い、また陰陽師もあらゆる悪霊や厄災を取り払うために儒教や密教の呪術を身に着け、超能力者のような存在になります。
陰陽師はやがて地位を高めていきますが、やがて武家社会が台頭するようになると陰陽師は公家社会だけに影響を与える存在まで没落していきます。 続きを読む 日本の陰陽師はその後どうなった?
本場中国では、隋と唐の時代を経て宋に入ってから風水は巒頭派と理気派が確立されます。
山の形や川の流れといった目に見える地相から気を判断するのが巒頭派。
眼に見えない個人の年齢や生まれた時間などから気の流れを方位的に判断するのが理気派ですね。
巒頭派は江西省で発達したことから江西学派、理気派は福建省で発達したことから福建学派と呼ばれることもあります。 続きを読む 風水に巒頭派と理気派がある理由は?
中国が共産主義になったことで財産を持つ中国人が国外に流出、華僑となって世界各地に点在していますが、なかでも香港とシンガポールは多いことから華僑が運気を招くために風水を多用しているという話は有名ですね。
たとえばシンガポールのマリーナベイ・サンズ。
高さ200mの57階建て超高層ビル3棟の上にスカイパークを連結された話題のホテルですね。
公的にはデザインに風水が取り入れられているという発表はありませんが、風水専門家に言わせると風水要素がたっぷり取り入れられているとのことです。 続きを読む コンラッドのビルに浮かぶ「13」の意味は?