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他人に好感を与える人間になれ

基本的な意味において、最高な接客的態度は、かつてある演歌歌手が言ったように「お客さまは、神さまです」であろう。しかし、考えてみるに、世の中じゅうの客が、自分に対して、すべて福の神であるわけはなく、時には貧乏神や、厄病神であることもあろう。

にもかかわらず「お客さまは神さまです」という態度が、最もよくツキを自分の方にもたらすというのは、殆んどの場合において、それは、人の心を喜ばし、その喜びの代償として、客は店側に繁盛をもたらしてくれるからである。 続きを読む 他人に好感を与える人間になれ

客に対して安心とあたたかさを示せ

たとえば、この支払いはきちんと払われないのではないかという疑念や怖れを表情や態度にあらわにするものに、ツキは訪れない。これは、接客業では特にそうだが、あまり質のよくない客を何回か相手にしていると、心の内に恐怖が満ちてきて、まるで世間中の客がすべて、そのように悪質に見えてきて「用心をしなければ」という気持ちばかりが強くなり、その内心の動きが外に現われてくることがある。

こういう気分が潜在意識にたまると、その人の表情相(後天的な人相)は、暗く、一種の寒気をただよわせたものとなる。すると不思議なもので、この怖れの気分の波動は、周りに伝わっていく。 続きを読む 客に対して安心とあたたかさを示せ

使う金は他人をも喜ばせよ

では、使う方のおカネについて考えてみるとして、どのような使い方をすれば、それは成功にとって、最も好ましい使い方になるのであろうか?ここでまず別にして考えなければならないのは、ここでいうおカネとは、事業資金すなわち投資的なおカネは含まない、ということだ。

それは、ためられたおカネの消費という意味においてである。ずばりいって、この使い方は「自分と他人に対し、共に喜びを与えるような使い方」にすべきである。

また更にいうならば、それは「大衆に奉仕するための使い方」に工夫されるべきであろう。そして、他人を助けることがわが喜びであるよう配慮されるべきだ。 続きを読む 使う金は他人をも喜ばせよ

カネをためても本物の成功ではない

西洋のことわざに「カネには二つの楽しみがある。ためる楽しみと使う楽しみと」という言葉がある。しかし、これは誰にも解ることだが、通常、成功というのは、ためる楽しみを使う楽しみより優先させることによってもたらされるものである。

使う楽しみをためる楽しみより優先させれば、即それは失敗の方向へむくことは間違いない。だがしかし、では、ためることにのみ専念すればするほど、成功への到達は容易になるのではないか、というと、これは必ずしもそうとはいえないようである。

というのは、法則の第七話をもう一度読み返して頂けば解ることだが、人間が充足を欲している本能的衝動は五つあり、おカネをためるという行為はその第一の生存本能を主として充足するものなのだからだ。 続きを読む カネをためても本物の成功ではない

成功とは願ったことの成就達成を意味する

しかし、ここで注意しなければならないのは、前項62における成功者の意味は「物質的な力を得た」という、簡単にいえば「多額のおカネを得た」という狭義の意味の成功を指しているという点である。成功とは、何によらず、自分の目指していること、願っていることの達成であり、しかもその目的とするものは、人によって千差万別である。したがって、おカネを得たり、事業を拡大発展させることのみが、成功のすべてであるとはいいがたいのである。

たとえば、宗教活動でも、自分の願いが、その教えを出来るだけ世に広め、多くの人々を救いたいという気持ちから出た場合、それはおカネ以外の成功を目指すものである。この場合の情熱は、この人をして生き甲斐を得させている原動力であるかも知れないのだ。 続きを読む 成功とは願ったことの成就達成を意味する

個人主義的な信仰を持て

一代で巨富を築いたスーパー成功者には共通した特質が幾つかあるものだが、その一つに「祈りの習慣」がある。実際のところ、彼らにはそれぞれの信仰する神仏があることが多い。たとえば、大黒さまとか観音さま、弁天さまがその代表である。これらの像などを、必ず毎日拝み、祈念するのである。

しかし、考えてみれば、この世に信心深い人は多い。また、信心深くても、必ずしも成功者とならないことも事実である。ところが、これらの成功者の信仰と、凡人あるいは失敗者の信仰のそのあり方を比べてみると、そこには大きな違いがあることに気がつくのである。 続きを読む 個人主義的な信仰を持て