「ツキを呼ぶ100の法則」カテゴリーアーカイブ

★成功への道標!ツキを呼ぶ100の法則

目次 成功への道標!ツキを呼ぶ100の法則

「礼儀とサービス」を活用するものに、ツキは訪れる

炭焼きの安いリプステーキで評判のステーキ屋が六本木にあり、以前、よくそこへ私は人をつれて行ったものである。しかし、ある時を期として、私はぴたりと行くのを止めてしまった。その理由は新しく来たマネジャーの態度にあった。その店は安くて狭いので、いつも客が立てこんでいて、入口で並んで待っている客も少なくなかった。

それで、このマネジャーは、より多くの客をとりたいために、今テーブルに居る客に、何となく早く出て行けがしのそぶりをしたのである。まだ少し残っているアイスクリームの皿をさっさとさげたり、足音あらく床を鳴らして歩いたり、食器類をガシャガシャと音を立てて置き、従業員もそれにならっていた。 続きを読む 「礼儀とサービス」を活用するものに、ツキは訪れる

不安や恐れを好むな

奇妙なことだが、ある人々は不安や怖れが好きなのである。ある女性は私にこう訴えた。

「私にはテレパシーの能力があって、それが恐ろしくてたまらないのです。なぜなら、私の悪い考えが、テレパシーで私の好きな人に伝ってしまって、その人が私を嫌いになってしまうのではないか、と思うのです」

私は彼女にいった。「では、その人のために、良いことだけ思ってあげれば良いのではありませんか?」

「はい、でも、私も人間だから、時には、ちらっとでも悪いことを考えてしまいますから。それに、私のテレパシーは、良いことは伝わらず、悪いことだけが伝わってしまうのです」 続きを読む 不安や恐れを好むな

自分の心をコントロールすれば、その瞬間から幸福になれる

「宝島」「ジキルとハイド」などで有名なロバート・スティーヴンスの言葉に、「幸福であろうとする義務ほど、われわれが過小評価している義務はない」がある。多くの人々は「幸福とは、心の持ち方の問題」という。

では、その心の持ち方は、具体的にいって、どのように持てばよいのか、というと、あまり明確に述べられる人は少ない。

せいぜい、「足りることをしること」「あまり欲をかかないこと」「毎日、感謝の生活をすること」という、仏教古来の諦観について述べるくらいである。 続きを読む 自分の心をコントロールすれば、その瞬間から幸福になれる

「あせり」こそ不幸の元兇である

「おそらく大罪はたった一つ・・焦燥である。焦燥のために、われわれは楽園を追われた。そして今、焦燥のために、われわれは楽園に帰ることができない」実存主義文学の先駆者、フランツ・カフカの言葉である。「あせり」この言葉こそ、私たちの成功、いや全人生までを暗く色とる不幸の元兇のように思える。

「健康的な意欲」と「煩悩執着」との違いはどこにあるのだろうか?多くの人々は、これを「欲望の大きさ」のように錯覚しているが、これはとんでもない間違いである。「一億円貯めよう」と「一千万貯めよう」と目指す両者において、その目標が大きすきる前者の方が煩悩執着であって、後者の方が健康的な意欲であるという訳ではない。 続きを読む 「あせり」こそ不幸の元兇である

大切なのは知識でなく行動だ

知識のみを重要視する人は大成できない。とかく、知識のあることを誇ったり、また他人の知識のみを尊重し、その知識に頼って自分の方針を決定しようとする人々には、適切な行動がともなわないものだ。

大切なことは、その知識にもとづいて起こされる行動である。この行動の意味は二つある。その一は自らの行動である。その二は他人を自分の望む方向への行動に駆りたてることだ。

そして、この二つの行動は、最終的には、その人自身による果断な決定によって起こされるものなのである。常に他人の知識に頼り、他人の意見に左右される者に成功の報酬がもたらされることは少ない。

行動は断固とした意志決定にもとづけ

なぜ、知識重視がまずく、行動重視が必要かというと、それは前者は人心を去らしめるからである。あなたに利益をもたらす人、すなわち協力者は、行動力を持つ人を好むものである。

そしてその行動力とは、断固としたその人自身の意志決定によるものである。自分で自分の意志決定のできない者は、常に他人の知識、他人の意見に頼り、それらで物事を決定しようとする。

ある時は専門家、ある時は友人、時には自分の妻にまで相談し、迷い抜いた末、やっと意志決定し、しかも自分自身の意見を依然として持てないのである。このような人を尊敬する人々は少ない。そして、その敬意のなさは、人心がこの人から去ることによって証明されるのである。

恐怖心を与えることも時には必要だ

「恐怖心を人に与える」これの操作についてよく知っている者は、あらゆる組織のリーダーになれる。この場合の恐怖心とは、いわば劇薬であり、また時には毒薬ですらある。一般的かつ通常的にいうならば、この劇薬は用いるべきではない。

不用意に他人、特に自分の部下の心に恐怖心をかき立てるようなことは決してしてはならない。リーダーは、常日頃は陽気で明るく、人に希望や勇気を与えるよう振るまうべきである。それには、他人に対し、理解し、同情し、かつ公平無私な態度で接するよう努めることだ。 続きを読む 恐怖心を与えることも時には必要だ

専横はつつしむべきだ

「専横」とはどういうことであろうか?これは「もっぱら横において通ずる」という意味である。いいかえれば、縦に通ずることを故意に怠り、上部に計ることなく、自分の判断で横にのみ動くということである。

このようなタイプの人間は、組織の中に入れば、殆んどの場合失脚する。殆んどといったのは、天才的有能者ならば、そこから生ずる利益性のために、上部は我慢して目をつぶる場合もある、という意味である。しかし、多くの場合、このような天才はそういるものではない。そこで凡人は、自分自身の力を過信して、結果失脚してしまう。 続きを読む 専横はつつしむべきだ

声の表情はツキと大いに関係がある

声とツキは多いに関係がある。声から受ける印象に、人は意外に敏感なものである。ただし、敏感ではあるが、普通それと意識されないで、その印象が伝えられることが多い。すなわち、その人にとっての好ましい声とそうでない声は、無意識的に選択されるのである。

そして、それは目から受ける印象その他と総合されて、その人の印象は形成される。だから、声の与える印象の力というものは顔の表情が与えるそれと比べて、優るとも劣らないほど強いものがあるのだ。 続きを読む 声の表情はツキと大いに関係がある

肩書をひけらかすな

肩書きをひけらかす、という行為は、ツキを自分から追いやる行為である。これはなぜかというと、他人の自己重要感を押し下げようという行為だからである。必要もないのに、自分の所属する有名会社の名前や、地位について、すぐ喋るのは、相手に対し、自己の優越性を暗に誇示しようとする態度となる。

この行為を受けた人々は当然、かすかながら不快感を覚える。そして、このような肩書きをとかくひけらかす人は、陰に陽に自己優越の印象を相手に与えて行こうとするので、その不快感はだんだんと増大して行くのである。 続きを読む 肩書をひけらかすな

眼前にある小事に欲望の火をかきたてよ

自分がどんなことを望んでいるのか解らず、しかも人生において何らかの成功をしたいと、漠然と思っている人がいる。これぐらいバカげた考えはない。自分で、自分の望みが何たるかを知らないのでは、その望みをどうやって達成すべきか、その方策の立てようがないではないか?

だが、実際のところ、多くの成功者は、初めから遠大な計画を立て、それに向って突き進み続け、遂にその地点に到達したという訳ではないのである。勿論、漠然とした夢のような願い、イメージを持っていた人は多い。 続きを読む 眼前にある小事に欲望の火をかきたてよ

何をやっていいかわからない時、おカネをためようと思え

「短期目標にしろ、長期目標にしろ、私には何をやっていいのか、そのイメージがさっぱり湧かないのです」と悲しそうに、私にいった人がいる。それについて私はこうアドバイスする。

「どんなことをするにも、殆んどの場合、おカネがいるものです。だから、やりたいことのイメージが湧いてくる前に、その資金をためたらいかがですか?とりあえず、百万円とか目標額を定めて。

そのおカネをためるためには、収入を増すことと節約することについての工夫と努力がいります。すると、工夫はアイデアを生み、そのアイデアでイメージも湧いてくるものです」 続きを読む 何をやっていいかわからない時、おカネをためようと思え