恐怖心を与えることも時には必要だ

「恐怖心を人に与える」これの操作についてよく知っている者は、あらゆる組織のリーダーになれる。この場合の恐怖心とは、いわば劇薬であり、また時には毒薬ですらある。一般的かつ通常的にいうならば、この劇薬は用いるべきではない。

不用意に他人、特に自分の部下の心に恐怖心をかき立てるようなことは決してしてはならない。リーダーは、常日頃は陽気で明るく、人に希望や勇気を与えるよう振るまうべきである。それには、他人に対し、理解し、同情し、かつ公平無私な態度で接するよう努めることだ。 続きを読む 恐怖心を与えることも時には必要だ

行動は断固とした意志決定にもとづけ

なぜ、知識重視がまずく、行動重視が必要かというと、それは前者は人心を去らしめるからである。あなたに利益をもたらす人、すなわち協力者は、行動力を持つ人を好むものである。

そしてその行動力とは、断固としたその人自身の意志決定によるものである。自分で自分の意志決定のできない者は、常に他人の知識、他人の意見に頼り、それらで物事を決定しようとする。

ある時は専門家、ある時は友人、時には自分の妻にまで相談し、迷い抜いた末、やっと意志決定し、しかも自分自身の意見を依然として持てないのである。このような人を尊敬する人々は少ない。そして、その敬意のなさは、人心がこの人から去ることによって証明されるのである。

大切なのは知識でなく行動だ

知識のみを重要視する人は大成できない。とかく、知識のあることを誇ったり、また他人の知識のみを尊重し、その知識に頼って自分の方針を決定しようとする人々には、適切な行動がともなわないものだ。

大切なことは、その知識にもとづいて起こされる行動である。この行動の意味は二つある。その一は自らの行動である。その二は他人を自分の望む方向への行動に駆りたてることだ。

そして、この二つの行動は、最終的には、その人自身による果断な決定によって起こされるものなのである。常に他人の知識に頼り、他人の意見に左右される者に成功の報酬がもたらされることは少ない。

「あせり」こそ不幸の元兇である

「おそらく大罪はたった一つ・・焦燥である。焦燥のために、われわれは楽園を追われた。そして今、焦燥のために、われわれは楽園に帰ることができない」実存主義文学の先駆者、フランツ・カフカの言葉である。「あせり」この言葉こそ、私たちの成功、いや全人生までを暗く色とる不幸の元兇のように思える。

「健康的な意欲」と「煩悩執着」との違いはどこにあるのだろうか?多くの人々は、これを「欲望の大きさ」のように錯覚しているが、これはとんでもない間違いである。「一億円貯めよう」と「一千万貯めよう」と目指す両者において、その目標が大きすきる前者の方が煩悩執着であって、後者の方が健康的な意欲であるという訳ではない。 続きを読む 「あせり」こそ不幸の元兇である

自分の心をコントロールすれば、その瞬間から幸福になれる

「宝島」「ジキルとハイド」などで有名なロバート・スティーヴンスの言葉に、「幸福であろうとする義務ほど、われわれが過小評価している義務はない」がある。多くの人々は「幸福とは、心の持ち方の問題」という。

では、その心の持ち方は、具体的にいって、どのように持てばよいのか、というと、あまり明確に述べられる人は少ない。

せいぜい、「足りることをしること」「あまり欲をかかないこと」「毎日、感謝の生活をすること」という、仏教古来の諦観について述べるくらいである。 続きを読む 自分の心をコントロールすれば、その瞬間から幸福になれる

猫とツキと干支の性格

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