成功とは願ったことの成就達成を意味する

しかし、ここで注意しなければならないのは、前項62における成功者の意味は「物質的な力を得た」という、簡単にいえば「多額のおカネを得た」という狭義の意味の成功を指しているという点である。成功とは、何によらず、自分の目指していること、願っていることの達成であり、しかもその目的とするものは、人によって千差万別である。したがって、おカネを得たり、事業を拡大発展させることのみが、成功のすべてであるとはいいがたいのである。

たとえば、宗教活動でも、自分の願いが、その教えを出来るだけ世に広め、多くの人々を救いたいという気持ちから出た場合、それはおカネ以外の成功を目指すものである。この場合の情熱は、この人をして生き甲斐を得させている原動力であるかも知れないのだ。 続きを読む 成功とは願ったことの成就達成を意味する

個人主義的な信仰を持て

一代で巨富を築いたスーパー成功者には共通した特質が幾つかあるものだが、その一つに「祈りの習慣」がある。実際のところ、彼らにはそれぞれの信仰する神仏があることが多い。たとえば、大黒さまとか観音さま、弁天さまがその代表である。これらの像などを、必ず毎日拝み、祈念するのである。

しかし、考えてみれば、この世に信心深い人は多い。また、信心深くても、必ずしも成功者とならないことも事実である。ところが、これらの成功者の信仰と、凡人あるいは失敗者の信仰のそのあり方を比べてみると、そこには大きな違いがあることに気がつくのである。 続きを読む 個人主義的な信仰を持て

未来に配慮しながら成功についてのみ思え

失敗を思わず、ただ成功のみを考えて、楽観的にしていさえすれば良い、これが成功哲学である、と考えてしまう人がいる。これはとんでもない誤解である。それは未来に対する甘えにしかすぎない。失敗について考えるな、ということではなく、「失敗について恐れるな」といっているのが成功哲学なのだ。

あらゆる最悪の事態を想定し、分析し、自己の守備範囲を明確にした上で、腹をすえてそれに取りかかれば、最早、心配する必要はなくなってしまうのである。古語に「遠き慮り無ければ、近き憂いあり」とあるように、未来に対する心こまやかな配慮は常に必要である。そのような配慮をした上で、成功についてのみ、イメージを思い浮かべよといっているのだ。

成功を求める気持ちを強くせよ

結局のところ、それは二つの考え方の争いの結果にしか過ぎない。つまり、失敗と成功である。これは「失敗を恐れる気持ち」と「成功を求める気持ち」の闘いなのだ。失敗するタイプの人は、失敗することを恐れる気持ちの方が、成功を求める気持ちよりずっと大きい。だから、失敗が成功を制圧してしまうのである。

こういう人は、何か障害が生ずれば、直ちに後退してしまい、そしてその障害をその後退の口実にするのである。実際に、失敗者は、その失敗に対して言い訳上手なものである。彼はどうしてもそれが不可能であったというように、非常にうまく弁明する。しかし、成功者は成功を思う気持ちの方がずっと強いから、失敗について考えている暇がないのである。

アイデアが生じたら、直ちに行動せよ

素晴らしい想像力も、専門的知識がそこに加わらなければ、それはたんなる思いつきとして生れ、そしてじきに消えてしまうものである。

といっても、私たちは、あらかじめ専門的知識を数多く身につけていなければいけないというわけではない。アイデアが生じたら、そのアイデア自身が専門的知識を求めるのである。

どんなすぐれた知識も、それ自身はたんなる材料にしか過ぎない。大切なことは、それらの知識をいかにうまく組み合わせ、そのアイデアを生かし、この世に送り出すことが出来るかどうかである。

だから、アイデアがひらめいたら、それを実現するための知識をまず探し求めねばならない。

猫とツキと干支の性格

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