緊張感をとり、リラックスせよ

古典的な心理学では、「超自我の危険性」ということが説かれている。私たちの心の奥底には、自我を処罰する超自我という意識の存在があり、通常これは良心としての働きをしているのだが、時々これが過ぎると、マゾヒズム的に自己をいじめて止まなくなるという。

これは、一種の欲求にさえなっている場合があり、人は他人に罰されたくて、何かのヘマを無意識の内に犯すようになってしまうことさえある。「解っちゃいるけど止められない」式に、世の中には誰が見ても愚かだと思われる言動を重ねては、失敗を続ける者がある。

一般的にいって、これは幼児体験にその因が発していることが多い。小さい時、ダメな子、グズな子として、叱りつけられ、悪いことをした罰を受けている内に、それは心の一部となり、その人間の自己限定枠となってしまったのである。

困ったことに、世の道徳家や宗教家などは、このような超自我の弊害性に気づかず、「自己に厳しくあれ」などと、かえって、その火に油をそそぐような言動をしている。このような自己処罰的な欲求を内攻的に有している人間は、例外なく、心身ともに常に緊張しているものである。そして、それは冷たい緊張感である。

成功への人生を歩むためには、この緊張感を消し去り、リラックスを自分の心身にもたらす必要がある。緊張は自然的に発生し、弛緩には人為的な労力を必要とする。怒ることはたやすい。

悔むことも易しく、嘆き、恐れることも甚だ容易である。しかしそれによって生ずる緊張感を解消させ、自らと周囲の人々に、リラックスから平和の境地へと自分を導くことは甚だ難しい。

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