「ツキを呼ぶ法則100」カテゴリーアーカイブ

★成功への道標!ツキを呼ぶ100の法則

※当カテゴリは無能唱元事務所のご協力により、ウンクルハウスが運営しています。

■無能唱元プロフィール

15年間の参禅修行中に「因依唯識(いんいゆいしき)」自分の人生の成功や幸福は全て自分の潜在意識が創り出すもの」という悟りを得て、飛騨の円空庵禅通寺小倉賢堂師より「唱元」の法名を授かる。

その後、数多くの仏典や西洋哲学、心理学を学び、「阿頼耶識」の活用という、これまでにない独自の願望達成法を完成、全国の説法会を通じて「積極的で成功する生き方」を指導。

主な著書に「得する人」「楽する人」「心配するななんとかなる」「人蕩術奥義」等、他多数。

未来に配慮しながら成功についてのみ思え

失敗を思わず、ただ成功のみを考えて、楽観的にしていさえすれば良い、これが成功哲学である、と考えてしまう人がいる。これはとんでもない誤解である。それは未来に対する甘えにしかすぎない。失敗について考えるな、ということではなく、「失敗について恐れるな」といっているのが成功哲学なのだ。

あらゆる最悪の事態を想定し、分析し、自己の守備範囲を明確にした上で、腹をすえてそれに取りかかれば、最早、心配する必要はなくなってしまうのである。古語に「遠き慮り無ければ、近き憂いあり」とあるように、未来に対する心こまやかな配慮は常に必要である。そのような配慮をした上で、成功についてのみ、イメージを思い浮かべよといっているのだ。

個人主義的な信仰を持て

一代で巨富を築いたスーパー成功者には共通した特質が幾つかあるものだが、その一つに「祈りの習慣」がある。実際のところ、彼らにはそれぞれの信仰する神仏があることが多い。たとえば、大黒さまとか観音さま、弁天さまがその代表である。これらの像などを、必ず毎日拝み、祈念するのである。

しかし、考えてみれば、この世に信心深い人は多い。また、信心深くても、必ずしも成功者とならないことも事実である。ところが、これらの成功者の信仰と、凡人あるいは失敗者の信仰のそのあり方を比べてみると、そこには大きな違いがあることに気がつくのである。 続きを読む 個人主義的な信仰を持て

成功とは願ったことの成就達成を意味する

しかし、ここで注意しなければならないのは、前項62における成功者の意味は「物質的な力を得た」という、簡単にいえば「多額のおカネを得た」という狭義の意味の成功を指しているという点である。成功とは、何によらず、自分の目指していること、願っていることの達成であり、しかもその目的とするものは、人によって千差万別である。したがって、おカネを得たり、事業を拡大発展させることのみが、成功のすべてであるとはいいがたいのである。

たとえば、宗教活動でも、自分の願いが、その教えを出来るだけ世に広め、多くの人々を救いたいという気持ちから出た場合、それはおカネ以外の成功を目指すものである。この場合の情熱は、この人をして生き甲斐を得させている原動力であるかも知れないのだ。 続きを読む 成功とは願ったことの成就達成を意味する

カネをためても本物の成功ではない

西洋のことわざに「カネには二つの楽しみがある。ためる楽しみと使う楽しみと」という言葉がある。しかし、これは誰にも解ることだが、通常、成功というのは、ためる楽しみを使う楽しみより優先させることによってもたらされるものである。

使う楽しみをためる楽しみより優先させれば、即それは失敗の方向へむくことは間違いない。だがしかし、では、ためることにのみ専念すればするほど、成功への到達は容易になるのではないか、というと、これは必ずしもそうとはいえないようである。

というのは、法則の第七話をもう一度読み返して頂けば解ることだが、人間が充足を欲している本能的衝動は五つあり、おカネをためるという行為はその第一の生存本能を主として充足するものなのだからだ。 続きを読む カネをためても本物の成功ではない

使う金は他人をも喜ばせよ

では、使う方のおカネについて考えてみるとして、どのような使い方をすれば、それは成功にとって、最も好ましい使い方になるのであろうか?ここでまず別にして考えなければならないのは、ここでいうおカネとは、事業資金すなわち投資的なおカネは含まない、ということだ。

それは、ためられたおカネの消費という意味においてである。ずばりいって、この使い方は「自分と他人に対し、共に喜びを与えるような使い方」にすべきである。

また更にいうならば、それは「大衆に奉仕するための使い方」に工夫されるべきであろう。そして、他人を助けることがわが喜びであるよう配慮されるべきだ。 続きを読む 使う金は他人をも喜ばせよ

客に対して安心とあたたかさを示せ

たとえば、この支払いはきちんと払われないのではないかという疑念や怖れを表情や態度にあらわにするものに、ツキは訪れない。これは、接客業では特にそうだが、あまり質のよくない客を何回か相手にしていると、心の内に恐怖が満ちてきて、まるで世間中の客がすべて、そのように悪質に見えてきて「用心をしなければ」という気持ちばかりが強くなり、その内心の動きが外に現われてくることがある。

こういう気分が潜在意識にたまると、その人の表情相(後天的な人相)は、暗く、一種の寒気をただよわせたものとなる。すると不思議なもので、この怖れの気分の波動は、周りに伝わっていく。 続きを読む 客に対して安心とあたたかさを示せ

他人に好感を与える人間になれ

基本的な意味において、最高な接客的態度は、かつてある演歌歌手が言ったように「お客さまは、神さまです」であろう。しかし、考えてみるに、世の中じゅうの客が、自分に対して、すべて福の神であるわけはなく、時には貧乏神や、厄病神であることもあろう。

にもかかわらず「お客さまは神さまです」という態度が、最もよくツキを自分の方にもたらすというのは、殆んどの場合において、それは、人の心を喜ばし、その喜びの代償として、客は店側に繁盛をもたらしてくれるからである。 続きを読む 他人に好感を与える人間になれ

客に対する用心は態度に出すな

「お客さまは神さまです」といっても、相対する客が全部そうであると信じるというわけではない。これは、いわば表現であり、相手に快感を与えるための一つの方策としてなのである。といって、それは決して付焼刃的なものであってはならないのは勿論だが。

客はいきものであり、これはある意味では動物をとりあつかうことと似ている。動物は時に、あばれたり、人間をおそったりもする。また、作物をあらしたりして、人間に被害も与える。そこで、これらの動物を一定の囲いの中に入れて飼育することになる。 続きを読む 客に対する用心は態度に出すな

「恩義に鈍感、恨みには敏感」は衰運タイプ

人から受けた恩義には鈍感で、恨みには敏感な人間がいる。こういう人間は衰運の運をたどることは明白だが、それと同時に、人生そのものが不幸感の連続になるものだ。

こういう人間は、特に他人に対し要求度が高く、しかも、他人のものは自分のもの式に考え、結局は人に嫌われてしまう。そして、常にその別れて行った他人に対して、悪口や不平を並べるのである。時には努力して、有力者のもとに、その庇護を受けることもある。 続きを読む 「恩義に鈍感、恨みには敏感」は衰運タイプ

被害者意識を捨て、プラス思考を心掛けよ

電車の中で、少しでも足を踏まれたり、足に何か当ったりすると、大仰に「痛い!」と大声を反射的にあげる人がいる。そして、顔をしかめ、長い間、その痛みのひどいことを誇示するのである。このようなタイプは「被害者意識の強い人」である。

これはどちらかといえば、女性の方に多い。被害者意識の強い人は、潜在意識に、「自分は少しも悪くない。このような目に私があわされたのは、あなたの貴任である」といった意識が常駐的に根をおろしているのである。その故に、精神分析医はこれを心理学的分類の中では、特に「あなたのせいで型」という名称をつけている。 続きを読む 被害者意識を捨て、プラス思考を心掛けよ

人間の定期的自己管理は必要である

自動車というものは、ガソリンを入れておきさえすればよいというものではなくて、ガソリン代の他に管理費というものが要することは誰でも知っている。人間の健康についても同様である。それは食物だけ与えておけばよいというものではなく、何らかの健康管理が必要なのだ。更にいうならば、現代人は「心の健康管理」についても、おカネを使わなくてはならなくなっている、といえよう。

総合的な意味で、自己管理の出来ないものに、自分の運命発展のため機構を管理出来る筈はない。しかし、しばしば、自動車の定期点検と整備を怠り、その車を早くダメにしてしまうように、自分自身の人生を、そのように無神経にあつかっている人も多いものだ。

「心の管理費」は年収の5%を消費すべきである

「心の健康管理」には色々の方法がある。一番てっとり早いのは、リクリェーションで、野山に遊ぶことであろう。次には、瞑想、坐禅、ヨガなどの講習会から、成功哲学などを含めて、種々の心のコントロール法を説く講演会に出席すること。その次には、自己コントロールに関しての専門誌や本を読むこと、ということになろう。

人間、もっとも尊いのは健康である。健康なくして、お力ネがあっても空しいことは容易に想像つくことだ。勿論、一番望ましいのは、健康であって、おカネがあることだ。ところで、病気とは「気のやまい」と書くように、心の健康が即、身体の健康であることは誰もが承知している。そこで、ある学者のいうことだが「心の管理費は年収の5パーセントを消費すべきだ」という言葉にもうなずけるのである。