ピアノの発表会のとき、お友達が「今日はお天気が曇なのよね、私曇のときは失敗するっていうジンクスなんだ、あなたはどう?」と、全く知らない人から言われて、私もそうかも・・・なんて思ってしまい、そのときの発表会はぼろぼろ。
運動会の日の朝、学校に行ってから、姉が、「あんた、今日は運動会のラッキーカラーじゃないジャン」という一言。
その前年まで、私の勝手に決めていたラッキーカラーのピンクの靴下で運動会に出る、ということを行っていた私。 続きを読む ジンクスは心の持ちよう
ピアノの発表会のとき、お友達が「今日はお天気が曇なのよね、私曇のときは失敗するっていうジンクスなんだ、あなたはどう?」と、全く知らない人から言われて、私もそうかも・・・なんて思ってしまい、そのときの発表会はぼろぼろ。
運動会の日の朝、学校に行ってから、姉が、「あんた、今日は運動会のラッキーカラーじゃないジャン」という一言。
その前年まで、私の勝手に決めていたラッキーカラーのピンクの靴下で運動会に出る、ということを行っていた私。 続きを読む ジンクスは心の持ちよう
良いジンクス、例えば、駅のコンコースの市松模様を一つ抜かしで、人にぶつからずに歩けたら、なくし物が見つかるとか、勝負事のときには、赤い下着をつけると勝てるとか、そういったラッキージンクスがあることで、心をぐっと強く保てる、という気がしませんか?
何かあっても、昨日お風呂で左足から洗ったから大丈夫とか、今日はエレベーターが一度も他の階で止まらずにこれたから会議は成功!とか、そういったことで、「成功する」という気持ちを強くもてるような気がするのです。
私は以前、勤めていた会社で、官公庁に提出する書類などを持っていく場合、一度も信号につかまらずにいけたら、一発OKというジンクスをもっていたのです。 続きを読む ラッキージンクスはポジティブシンキングから
これまで対人関係を良好にする名言集を並べてみました。
振り返ってみると、古来、誰でも対人関係では悩みを持ち、だからこそ対人関係に関する名言は数多あるわけですが、これらの名言、もっと突き詰めて考えると、結局のところは貴方自身、もっと成長しなさいというところに行き着いてしまいます。
相手を変えようなどとおこがましいことは考えず、友人を得るためには自分自身を変え、喧嘩してもけっして怒らず、嫉妬を感じても相手を讃え、そして人の話を聞く方に回れ、と。
確かにこれらを実践できたら聖人君子、人間関係が損なわれることはありません。
もちろん、聖人君子なんてなる必要はありません。
本当に良好な人間関係を築こうと思ったら、愚者と賢者をしっかり見極める判断力をつけ、相手によって対人関係の距離を保つことの方が重要です。
結局のところ、誰彼なく人間関係を良好にしようと思えば、それはアリストテレスの言葉のように「多数の友を持つ者は一人の友も持たない」ということになってしまうのですから。
対人関係を良好に保つコツはうまく立ち回ることです。
そのためにはつねにコミュニケーションの花を用意して、相手に差し出す準備をしておきましょう。
最後に、対人関係でもっとも役立つ諺をひとつ。
「花を差し出せば手元に香りが残る」
アメリカのラスベガスといえば街中すべてが大人の遊園地化している統合型リゾートの代表格。
マカオやシンガポールなどが模倣から追従に変わってきている現象も見られており、日本もなんだか、統合型リゾートのカジノが本格的に動き出しそうな気配を見せています。
大人の遊園地なんぞ千葉だけで十分なのに、本当に横浜まで名乗りを上げるんでしょうか。
横浜がこれ以上、壊れた街になるのはとても心配ですが、そのラスベガスでまたもやとんでもないネーミングのホテルを見つけてしまいました。 続きを読む アメリカでエクスカリバーを体現すると
アーサー王はケルト系民族(ブリトン人とかガリア人とか、いろいろな総称を持ちますが、民族的な話は別の機会に置くとして、このコラムではケルト系民族で統一します)の間で語り続けられた英雄です。
ブリテン島に住んでいたケルト系民族はヨーロッパ本土から侵攻してきたサクソン人(アングロサクソン系の民族ですね)にやがて征服され、同化させられてしまいますが、一時、抵抗を示していた時期があります。
その抵抗を指示していたのがアーサー王。 続きを読む ケルト系民族の英雄
アーサー王伝説には、ギリシャ神話における「オデュッセイア」や「神統記」、日本神話における「古事記」や「日本書紀」、北欧神話における「エッダ」のような主軸となる正史がありません。
正史はありませんが出典はあります。
アーサー王を記述した最古の資料として有名なのが「ブリトン人の歴史」で、著者は一応、ブリトン人のネンニウスという人物ですが、現在、ネンニウスなる人物が書き上げたという説が疑わしくなっており、作者不明として扱われることも多い歴史書です。 続きを読む アーサーは王ではなく軍事指揮官
アーサー王が初めて登場する「ブリトン人の歴史」では、アーサーは王ではなく軍師であり類稀な能力を持った兵士でしたが、アーサーが王になったのは「ブリトン人の歴史」からおよそ300年後、1136年頃に書かれた「ブリタニア列王史」からです。
著者はジェフリー・オブ・モンマスというキリスト教聖職者で、モンマスはウェールズ地方にある街の名前、つまりモンマス町のジェフリーさん、ということですね。
「ブリタニア列王史」は簡単に言うとブリテン島の王となった人物を列挙した歴史書です。 続きを読む 「ブリタニア列王史」に登場するアーサー王
ジェフリー・オブ・モンマス著の「ブリタニア列王史」に描かれているアーサー王の記述を簡単にまとめると以下のようになります。
ブリテン島の王、ウーサー・ペンドラゴンはコーンウォール地方を治めていたゴルロイス公の妃、美貌の持ち主であるイグレーヌに横恋慕をしてしまいますが、夫のゴルロイス公、妻を取られちゃたまらない、とばかりにイグレーヌと共にコーンウォール地方へこもってしまいます。
これに怒ったのがペンドラゴン王、なんと軍を率いてゴルロイス公が立てこもる城へ突撃しますが、ゴルロイス公も意地になってイグレーヌを難攻不落の砦といわれるティンタゴルへ隠してしまいます。 続きを読む ペンドラゴン王の息子、アーサー誕生
ペンドラゴンの後を継いで王となったアーサーは魔法使いマーリンの手を借り、魔剣カリバーン(エクスカリバーではないのですが、同一視する見解もあります)を操ってサクソン人と戦います。
その戦の数、12回。
アーサー王はサクソン人を撤退させ、ブリテン島に平和をもたらせた英雄となり、ローマ帝国の中でも美貌の持ち主と言われた貴族の娘グィネヴィアと結婚します(父親のペンドラゴンといい、アーサー王といい、親子揃ってメンクイだったようですね)。 続きを読む ローマ帝国まで侵攻するアーサー王
妻グィネヴィアを妃として娶り、自分がいない間に王へ治まったモルドレッドに対して怒り心頭、怒髪天を突く勢いのアーサー王は残存勢力を引き連れてブリテン島に引き返します。
もちろんモルドレッドにしてもそれは想定内。
かつてアーサー王が僻地に追いやったピクト人やスコット人を傭兵に雇い、迎え討ちます。
戦いは凄惨を極めましたが、やがてアーサー王はモルドレッドをカンブラン河畔まで追い詰め、ついに倒すことに成功しますが自らも瀕死の重症を追ってしまいます。 続きを読む 創作だった歴史書の「ブリタニア列王史」
ジェフリー・オブ・モンマスは「ブリタニア列王史」において、全12巻のうち、9巻から11巻途中までアーサー王を描いています。
列王の数は数えるのが面倒なほどいるのに、アーサー王でこれだけのページを割いてしまえば他の王なんて記述することができません。
言ってみればアーサー王を盛りたてる脇役みたいなものです。
実際、「ブリタニア列王史」はアーサー王に関する記述だけが抽出され、その他の部分に関しては注目もされていません。
なぜアーサー王だけが、これだけ後世に残るまで抽出されたのか? 続きを読む 「ブリタニア列王史」が描かれた時代
サクソン人の侵攻が激しくなるとローマ帝国軍はローマの衰退もあってブリテン島から撤退してしまいます。
そこで残されたケルト系民族(ブリトン人)はサクソン人と戦うわけで、ここに「ブリトン人の歴史」で記述されていたようにアーサーが獅子奮迅の戦いをするわけですが、結局はサクソン人がブリテン島を支配、今度はサクソン人同士が覇権を巡って戦いを行います。
それが七王国の時代。 続きを読む ブリテン島を狙うノルマンディー公国