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成功とは願ったことの成就達成を意味する

しかし、ここで注意しなければならないのは、前項62における成功者の意味は「物質的な力を得た」という、簡単にいえば「多額のおカネを得た」という狭義の意味の成功を指しているという点である。成功とは、何によらず、自分の目指していること、願っていることの達成であり、しかもその目的とするものは、人によって千差万別である。したがって、おカネを得たり、事業を拡大発展させることのみが、成功のすべてであるとはいいがたいのである。

たとえば、宗教活動でも、自分の願いが、その教えを出来るだけ世に広め、多くの人々を救いたいという気持ちから出た場合、それはおカネ以外の成功を目指すものである。この場合の情熱は、この人をして生き甲斐を得させている原動力であるかも知れないのだ。 続きを読む 成功とは願ったことの成就達成を意味する

カネをためても本物の成功ではない

西洋のことわざに「カネには二つの楽しみがある。ためる楽しみと使う楽しみと」という言葉がある。しかし、これは誰にも解ることだが、通常、成功というのは、ためる楽しみを使う楽しみより優先させることによってもたらされるものである。

使う楽しみをためる楽しみより優先させれば、即それは失敗の方向へむくことは間違いない。だがしかし、では、ためることにのみ専念すればするほど、成功への到達は容易になるのではないか、というと、これは必ずしもそうとはいえないようである。

というのは、法則の第七話をもう一度読み返して頂けば解ることだが、人間が充足を欲している本能的衝動は五つあり、おカネをためるという行為はその第一の生存本能を主として充足するものなのだからだ。 続きを読む カネをためても本物の成功ではない

使う金は他人をも喜ばせよ

では、使う方のおカネについて考えてみるとして、どのような使い方をすれば、それは成功にとって、最も好ましい使い方になるのであろうか?ここでまず別にして考えなければならないのは、ここでいうおカネとは、事業資金すなわち投資的なおカネは含まない、ということだ。

それは、ためられたおカネの消費という意味においてである。ずばりいって、この使い方は「自分と他人に対し、共に喜びを与えるような使い方」にすべきである。

また更にいうならば、それは「大衆に奉仕するための使い方」に工夫されるべきであろう。そして、他人を助けることがわが喜びであるよう配慮されるべきだ。 続きを読む 使う金は他人をも喜ばせよ

客に対して安心とあたたかさを示せ

たとえば、この支払いはきちんと払われないのではないかという疑念や怖れを表情や態度にあらわにするものに、ツキは訪れない。これは、接客業では特にそうだが、あまり質のよくない客を何回か相手にしていると、心の内に恐怖が満ちてきて、まるで世間中の客がすべて、そのように悪質に見えてきて「用心をしなければ」という気持ちばかりが強くなり、その内心の動きが外に現われてくることがある。

こういう気分が潜在意識にたまると、その人の表情相(後天的な人相)は、暗く、一種の寒気をただよわせたものとなる。すると不思議なもので、この怖れの気分の波動は、周りに伝わっていく。 続きを読む 客に対して安心とあたたかさを示せ

他人に好感を与える人間になれ

基本的な意味において、最高な接客的態度は、かつてある演歌歌手が言ったように「お客さまは、神さまです」であろう。しかし、考えてみるに、世の中じゅうの客が、自分に対して、すべて福の神であるわけはなく、時には貧乏神や、厄病神であることもあろう。

にもかかわらず「お客さまは神さまです」という態度が、最もよくツキを自分の方にもたらすというのは、殆んどの場合において、それは、人の心を喜ばし、その喜びの代償として、客は店側に繁盛をもたらしてくれるからである。 続きを読む 他人に好感を与える人間になれ

客に対する用心は態度に出すな

「お客さまは神さまです」といっても、相対する客が全部そうであると信じるというわけではない。これは、いわば表現であり、相手に快感を与えるための一つの方策としてなのである。といって、それは決して付焼刃的なものであってはならないのは勿論だが。

客はいきものであり、これはある意味では動物をとりあつかうことと似ている。動物は時に、あばれたり、人間をおそったりもする。また、作物をあらしたりして、人間に被害も与える。そこで、これらの動物を一定の囲いの中に入れて飼育することになる。 続きを読む 客に対する用心は態度に出すな

「恩義に鈍感、恨みには敏感」は衰運タイプ

人から受けた恩義には鈍感で、恨みには敏感な人間がいる。こういう人間は衰運の運をたどることは明白だが、それと同時に、人生そのものが不幸感の連続になるものだ。

こういう人間は、特に他人に対し要求度が高く、しかも、他人のものは自分のもの式に考え、結局は人に嫌われてしまう。そして、常にその別れて行った他人に対して、悪口や不平を並べるのである。時には努力して、有力者のもとに、その庇護を受けることもある。 続きを読む 「恩義に鈍感、恨みには敏感」は衰運タイプ

被害者意識を捨て、プラス思考を心掛けよ

電車の中で、少しでも足を踏まれたり、足に何か当ったりすると、大仰に「痛い!」と大声を反射的にあげる人がいる。そして、顔をしかめ、長い間、その痛みのひどいことを誇示するのである。このようなタイプは「被害者意識の強い人」である。

これはどちらかといえば、女性の方に多い。被害者意識の強い人は、潜在意識に、「自分は少しも悪くない。このような目に私があわされたのは、あなたの貴任である」といった意識が常駐的に根をおろしているのである。その故に、精神分析医はこれを心理学的分類の中では、特に「あなたのせいで型」という名称をつけている。 続きを読む 被害者意識を捨て、プラス思考を心掛けよ

人間の定期的自己管理は必要である

自動車というものは、ガソリンを入れておきさえすればよいというものではなくて、ガソリン代の他に管理費というものが要することは誰でも知っている。人間の健康についても同様である。それは食物だけ与えておけばよいというものではなく、何らかの健康管理が必要なのだ。更にいうならば、現代人は「心の健康管理」についても、おカネを使わなくてはならなくなっている、といえよう。

総合的な意味で、自己管理の出来ないものに、自分の運命発展のため機構を管理出来る筈はない。しかし、しばしば、自動車の定期点検と整備を怠り、その車を早くダメにしてしまうように、自分自身の人生を、そのように無神経にあつかっている人も多いものだ。

「心の管理費」は年収の5%を消費すべきである

「心の健康管理」には色々の方法がある。一番てっとり早いのは、リクリェーションで、野山に遊ぶことであろう。次には、瞑想、坐禅、ヨガなどの講習会から、成功哲学などを含めて、種々の心のコントロール法を説く講演会に出席すること。その次には、自己コントロールに関しての専門誌や本を読むこと、ということになろう。

人間、もっとも尊いのは健康である。健康なくして、お力ネがあっても空しいことは容易に想像つくことだ。勿論、一番望ましいのは、健康であって、おカネがあることだ。ところで、病気とは「気のやまい」と書くように、心の健康が即、身体の健康であることは誰もが承知している。そこで、ある学者のいうことだが「心の管理費は年収の5パーセントを消費すべきだ」という言葉にもうなずけるのである。

貧富の差は日常の考え方の違いから生ずる

貧富のわかれ目は、正に「考え方の違い」によって生ずる。富を築く人の思考は「陽の類」にあった。そして、貧乏への道を歩む人の思考は「陰の類」にあった。ここでいう思考とは、その人の日常における基本的な心の動きといってもよい。陽の類と陰の類とを次にかかげる。

陽の類:面白い・やれる・元気だ・安心だ・平安・感謝・落ちつき・愛情・自信・許し・時間は作れる・思いやり・幸せだ

陰の類:つまらない・無理だ・疲れた・不安だ・悩み・不平・焦り・憎しみ・恐れる・怒り・時間がない・自己主張・不幸だ 続きを読む 貧富の差は日常の考え方の違いから生ずる

成功には協力者の協力が必要である

いつの場合も、成功には協力者による協力が心要である。協力者を数多くかかえ、そして正しく選ばれたその能力が正しい対象に適合させてあるならば、その人の成功は目を見張るほど大きなものとなる。ここで大切なことを一つ指摘しよう。

それはこの協力者は、あなたの友人でなければならぬ、という点である。あるいは味方であると言葉を代えてもよい。それはたんなる営利だけのつながりではなく、そこには「友情」と「たがいの尊重」という感情が介在せねばならぬのだ。 続きを読む 成功には協力者の協力が必要である