イベントの中心にある招き猫ミュージアム

瀬戸の町で年に1回行われる招き猫の祭典「来る福招き猫まつりin瀬戸」。

その取り組みは個人コレクション数千点を持つ日本招猫倶楽部主宰も動かし、それまで群馬県の嬬恋村にあった「日本招猫倶楽部 招き猫ミュージアム」を地元の瀬戸に誘致しています。

招き猫の展示美術館としては、もちろん日本最大の規模を持つ招き猫ミュージアムは歴史から郷土玩具、主要産地別、珍品や雑貨など多岐に渡る招き猫を展示しているだけでなく、現代作家が陶磁器の素材にこだわらず、さまざまな素材を用いて制作した猫のアート作品も企画展として開催しています。

また招き猫の型に絵付けができる染付体験コーナーもあるので、オリジナル招き猫が欲しい人にはぜひ挑戦して欲しいところ。 続きを読む イベントの中心にある招き猫ミュージアム

招き猫の祭りだワッショイ!

常滑市と双璧を成すのが同じく愛知県瀬戸市。

こちらも日本六古窯のひとつに数えられるほどの歴史を持つ焼物の町で、古瀬戸のような芸術品と並んで日用品も多く作られており、とくに東日本では陶磁器の一般名詞に瀬戸物が使われるほど流通しています。

この瀬戸市も常滑市同様、招き猫を大量生産しており、招き猫に関するイベントなども開催しています。

もっとも有名なのが「来る福招き猫まつりin瀬戸」。

2013年の開催は第18回を数えるほど長く続いているイベントで、開催される9月、瀬戸市に流れる瀬戸川周辺は猫だらけになります。 続きを読む 招き猫の祭りだワッショイ!

39体のアバンギャルドな猫がお出迎え

焼き物の町、常滑市には「とこなめ招き猫通り」があり、コンクリート壁からは巨大な「とこにゃん」が訪れる観光客に愛想をふり撒いています。

なぜ、この「とこなめ招き猫通り」ができたか、というと、中部国際空港のセントレアができたので、常滑市でも何かやろうと考えた結果、名鉄常滑駅から、陶磁器会館まで向かう通りのコンクリート壁が素っ気ないので、招き猫を主人公にした通りを作ろう、ということになったそうです。

コンクリート壁に設置された猫の数、なんと39体。

これらを作ったのは常滑市で活躍する陶芸作家39人の作品で、常滑市観光協会が作るマップを見ると、さすがに作家だけあってアバンギャルドな作品が並んでおり、どれも招き猫の面影はまったくありません。 続きを読む 39体のアバンギャルドな猫がお出迎え

「とこなめ招き猫通り」のとこにゃん

招き猫、別名、丸〆猫は土人形の裏に◯と中に〆の陽刻があることから、このように呼ばれていますが、意味は◯がお金を表し、〆は節約、つまりお金を節約して貯めましょう、という思いが込められています。

この丸〆猫の意味を考えると自性院がご祈祷して授与される招き猫、貯金箱として使えるので、伝統を守っている存在とも言えます。

ともあれ、伏見稲荷の土人形に端を発する招き猫は江戸時代後期に入って大流行、やがて全国へと招き猫が広まっていきます。

現在、陶器の招き猫生産量トップは愛知県の常滑市。

日本六古窯に数えられる由緒正しい焼き物の地ですが、芸術的な作品ばかりでなく日用品も作っており、とくに土管は日本で最初に大量生産を行ったところでもあります。 続きを読む 「とこなめ招き猫通り」のとこにゃん

新宿武家屋敷跡から出土した丸〆猫

伏見稲荷における招き猫発祥説は養蚕の守護神とか、稲荷山の霊感あらたかな土とか、それなりに説得力があり、それを江戸に持ち帰った庶民の土人形を今戸焼きが模倣した、というとかなり発祥について辻褄が合ってきます。

伏見稲荷を除いた3つの発祥説がなぜ江戸であるか、というと(太田道灌のエピソードは江戸幕府以前となりますが、太田道灌が納めたのは招き猫ではなく猫地蔵ですから、その後、猫寺院となった経緯を考えると自性寺説も江戸時代ということになります)、新宿の武家屋敷跡から丸〆猫が発掘されたことが大きな要因でしょう。

この発掘された丸〆猫は現在、新宿区立新宿歴史博物館に収蔵されていますが、出土品が丸〆猫と判別されたのは安藤広重の浮世絵「浄るり町繁盛の図」のなかに描かれている丸〆猫屋で販売されていた丸〆猫と同じであること、さらに出土品の裏側には◯のなかに〆の陽刻(浮き文字のことですね)があり、また素材が江戸地系の土質であったことから、日本最古の招き猫と認定されています。 続きを読む 新宿武家屋敷跡から出土した丸〆猫

猫とツキと干支の性格

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