新宿武家屋敷跡から出土した丸〆猫

伏見稲荷における招き猫発祥説は養蚕の守護神とか、稲荷山の霊感あらたかな土とか、それなりに説得力があり、それを江戸に持ち帰った庶民の土人形を今戸焼きが模倣した、というとかなり発祥について辻褄が合ってきます。

伏見稲荷を除いた3つの発祥説がなぜ江戸であるか、というと(太田道灌のエピソードは江戸幕府以前となりますが、太田道灌が納めたのは招き猫ではなく猫地蔵ですから、その後、猫寺院となった経緯を考えると自性寺説も江戸時代ということになります)、新宿の武家屋敷跡から丸〆猫が発掘されたことが大きな要因でしょう。

この発掘された丸〆猫は現在、新宿区立新宿歴史博物館に収蔵されていますが、出土品が丸〆猫と判別されたのは安藤広重の浮世絵「浄るり町繁盛の図」のなかに描かれている丸〆猫屋で販売されていた丸〆猫と同じであること、さらに出土品の裏側には◯のなかに〆の陽刻(浮き文字のことですね)があり、また素材が江戸地系の土質であったことから、日本最古の招き猫と認定されています。

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安藤広重の浮世絵では売られている丸〆猫に着色してありますが、出土品は着色が取れ、素焼きの状態に戻っています。

しかし、やや身体をくねらせ右前足を耳の位置まで掲げている姿はまぎれもなく招き猫そのもの。

どうやら、招き猫発祥の地が江戸であることは間違いないようです。

今のところ、という注釈がつきますけれど。

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