コペルニクスも占星術師

12世紀ルネッサンスによってヨーロッパの舞台に再登場した占星術は、キリスト教から一部容認というお墨付きを与えられたことにより、17世紀までアカデミックな存在として広く認知されました。

アカデミックな存在に高めたのは占星術師単独の存在ではなく、当時の最高学問であった科学者や哲学者が天文学と占星術を結びつけ、自ら占星術師と名乗ったことが大きな要因です。

たとえばニクラウス・コペルニクス。

ポーランド出身の天文学者であり、当時の天文学では常識とされていた地動説を覆し、天動説を唱えた学者として後世に名を残しましたが、彼は学者であると同時にキリスト教のカトリック司祭であり、また占星術師でもありました。 続きを読む コペルニクスも占星術師

限定付きで占星術を容認したキリスト教

12世紀に入ってルネッサンス活動から再び脚光を浴びた占星術は、この時代においてもまたキリスト教から否定されましたが、時代はすでにキリスト教がヨーロッパを支配下に。

少なくともヨーロッパにおいては異端宗教がキリスト教を脅かすことがないため、2世紀に占星術を排除したような表だった活動は行われませんでした。

キリスト教から見れば、キリスト教の脅威とならない限り占星術は害のない存在であり、当時の占星術は天文観察という側面を持つアカデミックな要素もあったことからキリスト教徒の中には占星術の「一部」は認めるという人も表れてきます。 続きを読む 限定付きで占星術を容認したキリスト教

12世紀ルネッサンスで脚光を浴びる占星術

一度はヨーロッパから姿を消した占星術が再び脚光を浴びるのは12世紀に入ってから。

14世紀に始まったルネッサンスは主にギリシャやローマ時代の文化を復興しようという運動ですが、その胎動はすでに12世紀に始まっており、占星術はそのひとつでした。

ルネッサンスには「再生」や「復活」という意味があり、14世紀のイタリアで起きた大々的なルネッサンスと区別する意味で、12世紀に始まった古典・古代復興を「12世紀ルネッサンス」と呼びます。

ルネッサンスが活動として盛んになった背景には、キリスト教の1000年に渡る支配下によってギリシャ・ローマ文化が破壊され、その後、文化的な成長がまったく見られない暗黒の時代が築かれたことがあります。 続きを読む 12世紀ルネッサンスで脚光を浴びる占星術

西洋占星術の礎となったアラブ圏の占星術

キリスト教は十字軍の派遣でも分かるようにアラブの地域までは勢力が及びませんでした。

したがってギリシャ占星術はインドだけでなく中東のイスラム圏にも流入、8世紀頃から独自の文化を取り入れて発展していきます。

イスラム圏の占星術で特筆すべき人物はペルシャ人のアルブマサルこと、アブー・マーシャルです。

アリストテレスやプラトンといったギリシャの哲学者の知識を豊富に持つ当時の占星術第一人者といわれたアル・キンディに師事、マーシャルもギリシャ哲学を学び、アリストテレスの「自然学」や「天体論」を占星術と融合させたことが偉業として伝えられています。 続きを読む 西洋占星術の礎となったアラブ圏の占星術

中国に渡った占星術

ギリシャ占星術は中国にも渡来しています。

中国にもインド同様、独自の天文観測による占星術はありましたが、星の動きではなく日食や流星、新星の誕生など星々の現象を天が与える警告、儒教の災異説が元になっているものでした。

この災異説とは別に、約2000年前に誕生した六壬神課(りくじんしんか)はギリシャ占星術とインド占星術の影響を受けて確立された占星術といわれています。

天体を干支術の12支に割り当てていること、太陽の黄道上の位置の指標を月将と呼んでいること、天地盤と呼ばれるホロスコープに似た器具を使うことなどからも、その影響を推し量ることができますね。 続きを読む 中国に渡った占星術

猫とツキと干支の性格

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