肉眼観測では最高の精度を持っていたティコ・ブラーエ

神学を学ぶほど熱心なキリスト教信者でしたが、プロテスタントであったことからフェルディナンド2世神聖ローマ皇帝から追放されたヨハネス・ケプラーはデンマークの天文学者、ティコ・ブラーエの元で助手としての職を得ます。

ティコ・ブラーエもまた占星術師でした。

ティコの偉業は彗星と超新星ついての観測結果で、これらの発見・現象は月よりも遠方で起きていることを証明しました。

しかし天動説では月より遠方ではいかなる現象も起きないというのが定説であったため、ティコは地動説をあえて否定、太陽は地球の回りを公転し、その太陽の回りを惑星が公転しているという、修正天動説を提唱していました。 続きを読む 肉眼観測では最高の精度を持っていたティコ・ブラーエ

ケプラーもまた占星術師

太陽系の惑星にはそれぞれ公転周期があります。

この公転周期によって地球から見られる惑星の位置が異なり、占星術の元になるわけですが、公転周期が違えば当然、地球から見て(長い年月の間に)他の惑星が逆行運動することもあります。

天動説ではこれを太陽の動きということで解決してきましたが、天文観測を盛んに行うと地動説を採択した方が惑星の公転周期を理論上、説明できることが判明しましたが、それでもコペルニクスの地動説では惑星が円周期であるという解釈から抜け出せなかったため、惑星の逆光運動に対する理論に説得力が欠けていたことから地動説は受け入れられることがありませんでした。 続きを読む ケプラーもまた占星術師

当初は信頼度が薄かった地動説

コペルニクスの地動説によってユリウス暦はグレゴリオ暦に変わりますが、これはコペルニクスの地動説が採用されたというワケではなく、あくまで1年の実質日数の誤差を修正するという目的で、ローマ教皇グレゴリウス13世が制定したことから、暦の名前に使われています。

コペルニクスの地動説は当時、ほとんど世論から受け入れられていませんでした。

地動説をまとめた「天体の回転について」の著書はコペルニクスが死の直前に発表されましたが、惑星の正確な動きまでは把握できておらず、また地動説を体感できる証拠が何も上げられなかったことに因ります。 続きを読む 当初は信頼度が薄かった地動説

地動説の発見は暦の積み重なったズレから

地動説を唱えたニクラウス・コペルニクスは天文学者や医者などの肩書の他に占星術師としても活躍していました。

その彼が地動説を発見したのは占星術を極めるために天文観測を突き進めた結果と言えます。

前項では天文学と深い関わりのある暦について触れました。

当時、使われていたユリウス暦は1年を365.25日と定めて4年に1回、閏年を設けていました。

しかし実際の太陽暦はユリウス暦よりもやや短く、現在のグレゴリオ暦では365.2425日とされています。 続きを読む 地動説の発見は暦の積み重なったズレから

コペルニクスも占星術師

12世紀ルネッサンスによってヨーロッパの舞台に再登場した占星術は、キリスト教から一部容認というお墨付きを与えられたことにより、17世紀までアカデミックな存在として広く認知されました。

アカデミックな存在に高めたのは占星術師単独の存在ではなく、当時の最高学問であった科学者や哲学者が天文学と占星術を結びつけ、自ら占星術師と名乗ったことが大きな要因です。

たとえばニクラウス・コペルニクス。

ポーランド出身の天文学者であり、当時の天文学では常識とされていた地動説を覆し、天動説を唱えた学者として後世に名を残しましたが、彼は学者であると同時にキリスト教のカトリック司祭であり、また占星術師でもありました。 続きを読む コペルニクスも占星術師

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