「干支で活路を開く」カテゴリーアーカイブ

干支の動物占いはバーナム効果

2014年、今年の干支は午です。

年賀状をメールではなく、きちんと書かれた人はきっと午が馬であることはお分かりでしょう。

干支のうちのひとつの動物、馬は干支の順序から言うとヘビ(巳)とヒツジ(未)の間、7番目に当たります。

この午年生まれの人、派手で賑やかなことを好み、社交的で積極的ですが反面、短気な部分もあって根気がなく、時には周りの空気を読めずに不愉快にさせることがある・・・なんてことを干支占いで言われていることと思います。

うん、当たってる、と思うか、そんなこと言ったら学校の同級生は全部、同じ性格になるだろ、と一笑に付すかは人それぞれですが、これ、どちらも正解であり、不正解でもあります。 続きを読む 干支の動物占いはバーナム効果

干支は占いではなく方法論

干支の動物占いはその他の一般的な占いと同様、バーナム効果によるもの、と書くと、当然、「ほーら、やっぱり占いなんてそんなもん!」と根拠の寄る辺もなく自信たっぷりの顔をする人もいるでしょう。

では、1990年生まれの男性に、「貴方は庚午生まれで、彼女は1996年生まれだから丙子となり、貴方は陰陽五行説における金の陽干、金の兄と言われるが彼女は丙、つまり火性の陽、火の兄とされるために貴方は溶かされてしまう危険性を持っています。

しかも午と子は正反対の位置にあり、相性も良くない。別れる方が賢明です」などと言われたらどうしますか?

さらにもっと細かく陰陽五行説と干支を説明されて解説されたらどうでしょう? 続きを読む 干支は占いではなく方法論

還暦は生まれた干支に戻ること

干支の歴史は古く、殷の時代といいますから、今から3700年ぐらい前には作られていたことになります。

日本に干支が入ってきたのはいつの頃か定かではありませんが、欽明天皇の時代(554年)、中国の暦本が百済から渡来したという記述があるので、その前後には日本でも干支を使用していたといわれています。

お正月の年賀状ぐらいにしか干支は一般的に使われておらず、暦も方角も今では西洋式に習っていますが、じつは普段の生活のなかにも干支は浸透しており、誰でも意外と使っている風習や言葉があるのです。

たとえば還暦。かつて、満60歳の誕生日を迎えると赤いちゃんちゃんこを着せられて還暦祝いをされていました。

還暦を機に現役引退をすることが多く、その後は孫の世話や自分の好きなことをするというのが昔の風習ですね。 続きを読む 還暦は生まれた干支に戻ること

干支は12の動物だけにあらず

干支、というと十二の動物と思われがち。もちろん間違いではありません。

子(ね)、丑(うし)、寅(とら)、卯(う)、辰(たつ)、巳(み)、午(うま)、未(ひつじ)、申(さる)、酉(とり)、戌(いぬ)、亥(い)、これで十二ですが、本来、これを十二の支(と)といいます。

これに、甲(こう・きのえ)、乙(おつ・きのと)、丙(へい・ひのえ)、丁(ちょう・ひのと)、戊(ぼ・つちのえ)、己(き・つちのと)、庚(こう・かのえ)、辛(しん・かのと)、壬(じん・みずのえ)、癸(き・みずのと)の十干(じっかん)を合わせると、本当の干支になるのです。

十干は10年サイクル、十二支は12年サイクル。

これを組み合わせると2014年は甲と午、甲午(きのえうま)となり、次にこの甲と午が巡りあうのは10と12の最小公倍数の年、60年後ですから2075年(数え年のため、2014年は除きます)となるわけです。 続きを読む 干支は12の動物だけにあらず

上旬という言葉は十干から生まれている

十干十二支によって干支となり、暦が60週年サイクルで巡るのですが、これは年に限らず月、日にも当てはめられます。

1年は12ヶ月ですから、これに十二支が当てはめられ、日には年と同じ十干と十二支を組み合わせて60日周期としました。

この暦の方法、今でも日常的な会話で用いられています。

先々、きちんとした予定は立てられないけれど、だいたいその辺りで物頃を決めたい、という時、4月の上旬頃、などという言い方をしますが、この上旬とか中旬、下旬は60日周期から生まれた言葉です。

この干支では十干が10日サイクルであることから、1サイクルを旬と呼んだ習慣があり、ここから太陽暦の1ヶ月を約30日に分けて、上中下、それぞれに旬をつけるようになったのです。 続きを読む 上旬という言葉は十干から生まれている

10個の太陽が十干の始まり

暦が十干十二支から組み立てられていることはお分かりになったと思いますが、さて、この十干十二支、どこから生まれたのでしょうか?

最初に生まれたのが十干。

現時点で実在が確認されている中国最古の王朝、殷の時代には干支が使われていた形跡が残されていますが、十干は中国神話に登場する君主、堯(ぎょう)まで遡る必要があります。

堯、その後の殷では10個の太陽が毎日交代で上っていたと考えられており、その10個にそれぞれ付けられた名前が十干の始まりと言われています。

つまり10個の太陽が一巡りすることを旬と呼んだわけですね。 続きを読む 10個の太陽が十干の始まり

十二支が決められたのは木星の軌道

干支は十干十二支から成り立っており、その十干は古く堯の時代の神話が元になっています。

では十二支はどうでしょう?

こちらはずっと天文学的で、木星を基準に作られました。

時代は殷から周の春秋、さらに戦国時時代まで進みます。

この頃になると天文学も発達してきて、夜空に輝く一際大きな星、木星が天球を1周するのに12年かかることを発見しました。

そこで木星を歳星と呼び、十二次に分けてそれぞれの位置で年号を表す記述に使われたのです。 続きを読む 十二支が決められたのは木星の軌道

思想家は陰陽五行説を語る

十干十二支に複雑な意味を持たせた思想家とはすう衍(すうえん:すうの漢字は馬偏に芻の旁)。

諸子百家の一派で、六家のひとつ陰陽家の出身。

すう衍は陰陽思想を元にした五行説を唱え、それが各地の諸侯におおいに持て囃されたことから周の戦国時代、一気にブレイクしました。

陰陽思想と五行説、なかなか難しいので、できるだけ簡単に説明しますね。

ほんの入口しか紹介しないので興味のある人は本格的な書物で研究してください。

それから詳しい人はできるだけツッコミを入れないように。 続きを読む 思想家は陰陽五行説を語る

無限の方向性を持った十干十二支

陰陽五行説が十干十二支に意味付けを行うようになると、干支は単なる暦だけでなく、万物の吉凶を表すようになってきます。

陰陽五行説が最初に意味付けをしたのは十干。

甲を訓読みすると、きのえ、乙はきのと、ですね。

丙はひのえ、で、丁はひのと。

きのえ、は木の兄、きのと、は木の弟。

ひのえ、は火の兄で、ひのと、は火の弟。

末尾に付く「え」と「と」が日本の干支になったのです。 続きを読む 無限の方向性を持った十干十二支

なぜ十二支の動物に猫は入っていなかったのか?

日本では十二支が一般的となっている「えと」が、十干の陰陽五行説を由来としていることはお分かりになったと思いますが、動物が出てこないじゃないか!と早くもお怒りの人のために、本題へ入る前に軽く干支と動物の関わりを説明しましょう。

といっても、なぜ猫が入っていなんだ?的な動物の話はみなさん、ご存じの通り。

子、ネズミが猫に嘘をついてお釈迦様の集合日を1日ずらして1月2日と伝えたため、猫は遅刻して十二支に入れず、以後、猫はネズミを追い回すようになった、とか。

その時、お釈迦様に「顔を洗って出なおしてこい!」と言われたために猫は顔を洗うようになった、とか、所謂、伝承民話が元になっているだけですね。 続きを読む なぜ十二支の動物に猫は入っていなかったのか?

なぜ十二支を動物にたとえたか?

十二支と動物の関係で、必ず猫が出てくるのは、それだけ猫の支持率が高いということなのかどうか知りませんが、犬と猿にも触れています。

犬と猿は仲良く連れ立っていましたが、途中から我先と考え始め、競争を始めました。

そこで大喧嘩になり、仲裁に入ったのが鶏。

そのままお釈迦様の前に出てしまったため、犬と猿が喧嘩しないように、申と戌の間には酉が入っているというもの。

ネズミのずる賢さに牛は怒らないのか、とか、お釈迦様はズルも喧嘩も高みの見物かよ、とか、突っ込みどころ満載ですが、この辺りが本来の陰陽五行説と伝承民話の違いですね。 続きを読む なぜ十二支を動物にたとえたか?

究極の二元論を持つ陰陽思想

十干十二支は神話の世界から十干が生まれ、十二支は天文学から生まれました。

これに大きな意味をつけたのが陰陽思想で、十干十二支は陰陽五行説を元にした干支となりました。

これらをもう少し理解するためには根底にある陰陽思想を知っておかなければなりません。

陰と陽、どちらが正でどちらが悪という善悪二元説ではなく、森羅万象を形成するためには両方の均衡がなければ成り立たないという思想が根本にあります。

男性は陽、女性は陰に分類されますが、どちらか一方、あるいは数が偏っていては子孫の反映は成り立ちません。 続きを読む 究極の二元論を持つ陰陽思想