陰陽思想は陰と陽の二元的成り立ちを十干に用いています。
それが陰陽五行説。
木は樹木の成長・発育の様子を表現し、春の象徴となります。
火は光りをもたらす炎、また灼熱の性質を表現し、夏の象徴となります。
土は植物の芽が土の中にいることで万物の育成と保護を表現し、季節の変わり目の象徴となります。
金は土の中にある鉱物を意味し、金属の持つ堅固、冷徹を表現、秋を象徴します。
水は湧き出る泉こそ命の源であるという意味から胎内と霊性を表現、冬を象徴します。 続きを読む 五元素が最初に東西南北を決める
陰陽思想は陰と陽の二元的成り立ちを十干に用いています。
それが陰陽五行説。
木は樹木の成長・発育の様子を表現し、春の象徴となります。
火は光りをもたらす炎、また灼熱の性質を表現し、夏の象徴となります。
土は植物の芽が土の中にいることで万物の育成と保護を表現し、季節の変わり目の象徴となります。
金は土の中にある鉱物を意味し、金属の持つ堅固、冷徹を表現、秋を象徴します。
水は湧き出る泉こそ命の源であるという意味から胎内と霊性を表現、冬を象徴します。 続きを読む 五元素が最初に東西南北を決める
十二支を使った方位は円グラフに子を頂点、つまり北にして右回りに書くと分かりやすいので、自分で書くか、あるいはネットで分かりやすい図表を見てくださいね。
円グラフにすると、これが方位だけでなく時計になることも分かると思います。
十二支をそれぞれ2分割にすることで24時間計になるわけですね。
そうするとちょうど12時、南の方向、真下に午が来ます。
勘の言い方、もうお分かりですね。この午を境に、それ以前を午前、それ以後を午後と呼ぶようになりました。
ちなみにA.M.とP.M.はラテン語の略で、それぞれante meridiemとpost meridiem、meridiamを英語に直すとmidday、つまり正午ですね。 続きを読む 午前と午後は十二支から生まれている言葉
方向や時間を示す役割は十二支が持っていることを解説したので、以前、保留にしていたこと、なぜ旧暦の正月は子から始まらないのかを説明しましょう。
方角を見ても子は北、24時の位置にあり、陰陽思想からいっても始まりの場所ですが、旧暦の正月は子より2ヶ月後、寅から始まっています。
これも古く後漢時代まで遡らなければなりません。
まず毎月の1日は、北斗七星の柄の部分がどの方位を向いているかによって決めていました。
これを月建といいます。
星空の位置は地球の公転軌道で毎日変わり、1年で1周するので北斗七星の柄の方角を12分割し、ある時点を月建とすれば、その後は十干十二支の法則にしたがって暦を作れますが、どの月建を正月とするのか、それが問題でした。 続きを読む 年の始まりが子の月でない理由
森羅万象を作り出す五元素は十干に意味付けを行うとより具体性を帯びてきます。
十干の名称は自然の摂理を表している言葉であり、また陰陽五行説に基づく意味を内包しています。
例えば甲(きのえ)は樹木の始まりであり、種子が甲冑を被っているかのような形で活動を始めようとしていることを表現、戊(つちのえ)は茂るに通じてまさに樹木、草花が咲き乱れる様を表し、辛(かのと)は新に通じて枯れた草花を一掃する意味があり、壬(みずのえ)はまた発芽する種子を「妊」むという意味を表現しています。
十二支にも同じように陰陽五行説における意味が漢字に表れています。
卯(う)は旧暦の2月、新暦の3月ですが、この文字は新芽が2つに分かれて地上に出る姿を表していると言われ、草木が地面を覆う状態を意味しています。 続きを読む 十干十二支の漢字に込められた意味
陰陽五行説は万物の生成を十干十二支に喩えていますが、これは一例であり、五行が木を頂点に右回りで順に相手を生み出していく作用をしている間は相生といって陽の関係になりますが、当然、世の中はそんなおいしいことばかりではありません。
その辺のところ、陰陽五行説はきちんと分かっていて(なにしろ森羅万象を司る理論ですから)相生以外にも相剋、比和、相侮、相乗という五行の関係を示し、それらによる結果にも言及しています。
そのなかでも相剋は相手を滅ぼす陰の関係を示しています。
木剋土といえば、木は根を地中深く張り、土の養分を吸い上げて土地を痩せさせてしまうことを表します。
土剋水といえば土が水を濁らせ、水を吸い取り、流れようとする水をせき止めることを表します。 続きを読む 相手を滅ぼす五芒星の相関関係
陰陽五行説の五行は互い、あるいは同じ行同士で作用して万物を生み出したり滅ぼしたりしています。
相生と相剋は真逆ですが、相剋も場合によっては反剋になることもあり、陰陽五行説は相侮として表しています。
相剋では木剋金で木が切り倒されてしまいますが、相侮になると金の剋を受け付けず、逆に木が金を侮ります。
これが木侮金。
同じように金侮火では金が強すぎて逆に金を侮り、火侮水では火が強すぎて水を侮り、そして土侮木では土が強すぎて木を侮ります。
この相侮、どちらかが強いだけでなく、どちらかが弱い場合も関係が成り立ち、虚の文字が使われます。 続きを読む 陰陽思想の二元論は相互作用を表す
暦であり方位である十干十二支に意味付けを行った陰陽五行説。
それら五行(五気とも言います)は互いに関係し、自ら他のものを生み出し、あるいは自らが他から生じ、自ら他を剋し、あるいは剋されることで循環が得られ、森羅万象の永続性が保たれるというわけです。
改めて、陰陽五行説を書いていくと東洋思想らしい自然界を基調とした全体的な世界観を持っていて完成された学問であることに気づかされます。
西洋や古代インドでも陰陽五行説と同じように二元論を盛んに確立させる動きはありましたが、陰陽五行説ほど体系だった学問は存在しません。
古代インドでは自我と非自我、意識と無意識を退治させたアートマンとブラフマンの二元論が起こりましたが、やがてアートマン=ブラフマンという梵我一如の理論から一元論に戻っています。 続きを読む 二千年も変わることがない思想体系
陰陽五行説が元になった干支の話、少しばかり難しかったので日本に伝わる干支のエピソードからいくつか拾って紹介しましょう。
陰陽五行説が日本に渡ってきたのは5~6世紀と言われ、日本独自の発展を遂げて陰陽道という学問に発達しました。
したがって陰陽五行説にはない、日本だけの風習がいくつかあります。
そのひとつが鬼門。
艮(うしとら)の方角である北東は鬼が出入りするとされ、忌むべき方角と言われています。
またその正反対、南西の坤(ひつじさる)は裏鬼門として艮同様に嫌われています。 続きを読む 日本で独自に発達した鬼門
日本の陰陽道が生み出した鬼門は北東の艮(うしとら)方向ですが、この方向を物語に登場させた有名な映画がありました。
黒澤明監督のもっとも脂が乗っていた時代の作品、「用心棒」です。
からっ風の吹く寂れた上州の宿場町に、桑畑三十郎と名乗る浪人がふらりと現れます。
その浪人が宿場の居酒屋主人、権爺から聞いた話によると、ふたつのヤクザ組織が対立して利権争いをしているため、宿場はすっかり寂れたとのこと。
そこで浪人、両方の組織に自分を用心棒として巧みに売り込み、やがて2つの組織を壊滅させるという痛快時代劇でした。 続きを読む 黒澤映画に登場する鬼門の人物
陰陽道から生まれた日本独自の風習は鬼門以外にもあります。
丙午(ひのえうま)の女。
これ、聞いたことありますか?
元になったのは江戸時代、八百屋の娘であるお七の物語です。
お七は江戸を襲った天和の大火に巻き込まれ、家を失って家族と一緒に正仙院という寺で避難生活を送ります。
このお寺にいた小姓生田庄之助と恋仲に落ちるお七、やがて店が立て直されて寺を引き取るものの、庄之助への恋心は募るばかり。 続きを読む 八百屋お七と丙午の女 PART-1
井原西鶴の脚色によって後世に語られるまでになった悲劇の娘、恋人に会いたい一心で放火し、火あぶりの刑に処せられた八百屋のお七という少女、生年月日は定かでないのに、なぜか1666年生まれ、と決めつけられてしまいました。
この1666年、丙午(ひのえうま)の年となっています。
十干で丙(ひのえ)は文字通り、火の兄で陽干、十二支で午は南の方角を指し、夏の太陽や炎が燃え上がる火の陽支の表現を持っています。
火の陽が重なっているだけに、陰陽五行説では比和(同じ行が重なると良い方向にも悪い方向にも加速する)となり、この年に生まれたから八百屋お七は放火という大罪を犯した、という俗説が生まれてしまいました。
この俗説、笑い事ではなく、その後の日本で丙午に生まれた女性は気性が強く夫の命まで縮めるという迷信にまで広がっていきます。 続きを読む 八百屋お七と丙午の女 PART-2
井原西鶴によって恋のために放火した悲劇の少女となり、近世江都著聞集で気性が激しく夫を短命にさせる丙午(ひのえうま)の女にさせられてしまった八百屋お七ですが、じつは火あぶりの処刑から逆算すると1666年生まれではなく、1668年生まれだったのではないか、という説があります。
そうすると丙午ではなくその2年後、戊申(つちのえさる)生まれとなり、火の象徴、さらに陽の干はどこにもないことになってしまいます。
そこで疑問に思うのが恋仲と言われた庄之助。
井原西鶴の「恋草からげし八百屋物語」では吉三郎の名前ですね。
この男の生年月日は明らかにされていません。
陰陽五行説における干支は二元論であり、相互作用によって結果が生じます。 続きを読む お七伝承に欠けている重要な謎