日本で独自に発達した鬼門

陰陽五行説が元になった干支の話、少しばかり難しかったので日本に伝わる干支のエピソードからいくつか拾って紹介しましょう。

陰陽五行説が日本に渡ってきたのは5~6世紀と言われ、日本独自の発展を遂げて陰陽道という学問に発達しました。

したがって陰陽五行説にはない、日本だけの風習がいくつかあります。

そのひとつが鬼門。

艮(うしとら)の方角である北東は鬼が出入りするとされ、忌むべき方角と言われています。

またその正反対、南西の坤(ひつじさる)は裏鬼門として艮同様に嫌われています。

中国の古代書物「山海経」という一種の奇書に、乾(いぬい)を天門、坤を人門、巽(たつみ)を風門、そして艮を鬼門と書かれていたことが日本の陰陽道における鬼門の由来とされていますが、本家本元の中国や陰陽五行説が広まったアジア諸国でも艮の方角を忌み嫌う風習はありません。

根拠の薄い記述を鵜呑みにして習慣づけてしまうのは昔も今も変わらぬ日本人気質に思えますが、すでに定着したこの鬼門、日本建築に大きな影響を及ぼしており、城郭では北東方面を一部削り取って鬼門除けにしたり、鬼門の方向に桃の木を植えたり(これも山海経に出てくるお話のひとつ、桃の木が邪悪な鬼を防いだと記述されている)、都市計画で鬼門と裏鬼門方面に神社仏閣を作って結界を張っています。

現代でも家を建てる時、建築家によっては鬼門を重視して北東方面に水回り設備を配置しないことがあります。

まあ、いくら鬼門が日本独自の風習だと言っても1500年もの歴史を持てば立派な既成事実ですから、建築家の機嫌を損ねるよりは言うことを素直に聞いて立派な家を建てた方が賢明ですね。

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