なぜ十二支の動物に猫は入っていなかったのか?

日本では十二支が一般的となっている「えと」が、十干の陰陽五行説を由来としていることはお分かりになったと思いますが、動物が出てこないじゃないか!と早くもお怒りの人のために、本題へ入る前に軽く干支と動物の関わりを説明しましょう。

といっても、なぜ猫が入っていなんだ?的な動物の話はみなさん、ご存じの通り。

子、ネズミが猫に嘘をついてお釈迦様の集合日を1日ずらして1月2日と伝えたため、猫は遅刻して十二支に入れず、以後、猫はネズミを追い回すようになった、とか。

その時、お釈迦様に「顔を洗って出なおしてこい!」と言われたために猫は顔を洗うようになった、とか、所謂、伝承民話が元になっているだけですね。 続きを読む なぜ十二支の動物に猫は入っていなかったのか?

無限の方向性を持った十干十二支

陰陽五行説が十干十二支に意味付けを行うようになると、干支は単なる暦だけでなく、万物の吉凶を表すようになってきます。

陰陽五行説が最初に意味付けをしたのは十干。

甲を訓読みすると、きのえ、乙はきのと、ですね。

丙はひのえ、で、丁はひのと。

きのえ、は木の兄、きのと、は木の弟。

ひのえ、は火の兄で、ひのと、は火の弟。

末尾に付く「え」と「と」が日本の干支になったのです。 続きを読む 無限の方向性を持った十干十二支

思想家は陰陽五行説を語る

十干十二支に複雑な意味を持たせた思想家とはすう衍(すうえん:すうの漢字は馬偏に芻の旁)。

諸子百家の一派で、六家のひとつ陰陽家の出身。

すう衍は陰陽思想を元にした五行説を唱え、それが各地の諸侯におおいに持て囃されたことから周の戦国時代、一気にブレイクしました。

陰陽思想と五行説、なかなか難しいので、できるだけ簡単に説明しますね。

ほんの入口しか紹介しないので興味のある人は本格的な書物で研究してください。

それから詳しい人はできるだけツッコミを入れないように。 続きを読む 思想家は陰陽五行説を語る

十二支が決められたのは木星の軌道

干支は十干十二支から成り立っており、その十干は古く堯の時代の神話が元になっています。

では十二支はどうでしょう?

こちらはずっと天文学的で、木星を基準に作られました。

時代は殷から周の春秋、さらに戦国時時代まで進みます。

この頃になると天文学も発達してきて、夜空に輝く一際大きな星、木星が天球を1周するのに12年かかることを発見しました。

そこで木星を歳星と呼び、十二次に分けてそれぞれの位置で年号を表す記述に使われたのです。 続きを読む 十二支が決められたのは木星の軌道

10個の太陽が十干の始まり

暦が十干十二支から組み立てられていることはお分かりになったと思いますが、さて、この十干十二支、どこから生まれたのでしょうか?

最初に生まれたのが十干。

現時点で実在が確認されている中国最古の王朝、殷の時代には干支が使われていた形跡が残されていますが、十干は中国神話に登場する君主、堯(ぎょう)まで遡る必要があります。

堯、その後の殷では10個の太陽が毎日交代で上っていたと考えられており、その10個にそれぞれ付けられた名前が十干の始まりと言われています。

つまり10個の太陽が一巡りすることを旬と呼んだわけですね。 続きを読む 10個の太陽が十干の始まり

猫とツキと干支の性格

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