なぜ日本に風水は定着しなかったの?

本場中国では春秋戦国時代にはすでに風水の起源となる「卜宅」が存在し、晋の時代には陰陽思想を取り入れた隠宅風水や陽宅風水ができていたのに、風水が日本で広まるまで長き時が必要だった理由は風水が確立する宋の時代以前、中国から文化を持ち帰った遣隋使や遣唐使の存在が大きいといえます。

中国の文化や政治統制の方法を日本に持ち帰った遣隋使や遣唐使の知識の中には伏犠が説いた陰陽思想と五行説を組み合わせた陰陽五行説も入っていました。 続きを読む なぜ日本に風水は定着しなかったの?

張明澄ってだれ?

荒俣氏の「風水先生 地相占術の驚異」からさかのぼること約30年、風水の本場である台湾から張明澄(ちょうめいちょう)が来日、その後、1972年には帰化して小島聖一という日本名になります。

日本語能力が堪能なこと、学問に秀でていることなどの理由から日本に請われて来日、その張明澄の収得した学問の中に風水があり、日本の風水の原型は張明澄から始まったと言われています。

張明澄の風水は本格的な理気派。 続きを読む 張明澄ってだれ?

日本で風水が広まったきっかけは?

日本で風水が広まったのは自ら「風水先生」を名乗る小説家であり学者の荒俣宏氏(正確には奥さんの荒俣泰子氏)が1994年に「風水先生 地相占術の驚異」を刊行してからのことです。

つい最近のことですね。

荒俣氏といえばサラリーマン時代から怪奇幻想文学の翻訳を行い、作家となってから「世界幻想文学大系」(全45刊)の編集担当、さらに1985年になると「帝都物語」シリーズなど次々とベストセラーを刊行するなどインテリジェンスのある著名人として有名です。 続きを読む 日本で風水が広まったきっかけは?

「隠宅」と「陽宅」ってなに?

話を風水に戻しましょう。風水の言葉を最初に使ったのは晋の学者であり卜者であった郭璞。

郭璞は墓地を選ぶ際、最適な場所を選ぶ方法を記した「葬書」も書いたとされています(諸説あり)。

まあ、書いた人が誰であれ、「葬書」は風水における原書的役割となり、後に「隠宅風水」の基礎となりました。

「隠宅」とは墳墓のこと。

死者の居住空間、つまりお墓の位置が正しければ死者は長く幸せになり、その子孫も繁栄するという考え方から隠宅風水が生まれました。 続きを読む 「隠宅」と「陽宅」ってなに?

八卦ってコンピューター言語に似ている?

陰陽思想から五行説、そして八卦まで考えだしたのが伝説上の神であり皇帝の伏犠。

日本やギリシア神話、北欧神話に登場する神々に負けないくらいの超人です。

中国神話では人類の生活向上のためにあらゆる文化を生み出した人物となっており、当時は紐の結び目で約束事を表わしていた結縄の代わりに文字を考え出し、蜘蛛の巣にならって網を作って漁を教え、天地の理(ことわり)を説くために八卦を描いたといいます。

ギリシア神話のゼウスだとか日本神話の素盞嗚命(スサノオノミコト)のように荒ぶる神様ではなく、文化的側面の強い神様であるところがいいですね。 続きを読む 八卦ってコンピューター言語に似ている?

猫とツキと干支の性格

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