八百屋お七が丙午の証拠はどこにもない

実話を元にして井原西鶴が脚色した「恋草からげし八百屋物語」は「好色五人女」の第4巻に収納されています。

元になった実話は八百屋お七の放火。

ここで誤解が結構生まれていて、天和の大火を生み出したのが八百屋お七という話がいくつか見られますが、八百屋お七は天和の大火で家を焼かれた被害者です。

当時16歳だったお七は避難場所の駒込吉祥寺で寺小姓の小野川吉三郎と出会い、吉三郎がお七の指に刺さったトゲを抜いたことから2人はフォーリン・ラブ。

その後、八百屋が再建されたので2人は離れ離れになりますが、なんとか親の目をかいくぐって2人は逢瀬を重ねます。

しかし滅多に逢えぬ2人、お七はもう一度火事になればまた吉祥時に避難できて吉三郎に逢えると思ったお七は家に火付け、つまり放火をしてしまうわけですね。

幸い、ボヤで済んだのですが、お七は放火の大罪で市中引き回しの末、火あぶりの刑に処されてしまうというお話。

このお七が丙午だったという俗説が流布したことから丙午の女は気性が激しい、という迷信が生まれました。

実際、お七が丙午だったということは西鶴、一切書いていません。

ただ、当時としては自分の恋のために積極的に行動する女性を描いた作品がなかったことは事実。

衝撃的な事件と見事な脚色だからこそ、人々に不安を埋め込む迷信ができたといえます。

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