運命は予知夢によって変えられる?共印象の臨界点仮説

歴史的な大事件・大事故などの大きな出来事⇒多くの人々がその「共通の印象」をその後もずっと共有することになる⇒「共有する共通の印象」(共印象)の集合無意識化⇒イメージの固定化(シンボル化)⇒臨界点を超える(仮説的な設定として)⇒共印象の時空間の飛び火⇒過去に作用した場合はこれが「予知夢」といわれるものになる。

われわれは近年に起こった、人類史上でもまれな、それこそ人類規模の大惨劇を目の当たりにした。

2001年9月11日の、いわゆる「あの日」である。

これこそ、人類規模で共有する共通の印象として、われわれ一人ひとりの心の中に鮮明に刻まれたものとなった。

だとすれば、それが起きる以前に、その戦慄すべきシーンを予知夢として見た者が世界中に多くいたことも想像できる。

そして、今、多くの人が、ある共通した印象をもつ夢を見ている可能性がある。

それは、これから起こる(多くの人が将来において共有することになる、それだけのインパクトをもった)ある大惨劇のイメージを前もって夢予知情報として得たものなのかもしれないのだ。

しかし、そうした夢を見た一人ひとりは、その夢を自分だけのもの、つまり自分の心が生み出した、ひとつの印象にすぎないとして、それ以上考えようとはしない傾向にある。

しかし、その夢の印象は、ひょっとすると他の多くの人の夢にも共通するものかもしれないのだ。

だとすれば、その共通する印象は、近い将来に起こる、ある悲劇的な出来事を予兆している可能性が高い。

そして、それは、近い将来に起こる個人的な悲劇を回避させるための、夢予知情報なのかもしれないのだ。

タイタニック号の悲劇的な印象を前もって夢で見ていたにもかかわらず、それに乗船して命を失ってしまったジャーナリストの轍を踏まないためにも、われわれはもう少し夢情報を活用するべきなのではないだろうか。

そのためには、人々の「共印象夢」を効果的に集め、それを集計・整理・統合・分析する、いわば「夢予知統計局」(夢予知統合集計局)なるものがあってもよいと思うのである。

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