gluck のすべての投稿

今戸焼が作った丸〆猫

江戸時代に隆盛を誇った今戸焼きは日用品に使う陶磁器も製造していましたが、とくに有名なのが瓦や鉢などの土器。

なかでも土人形は縁起物や子供の玩具として数多くの種類が生産されています。

そのなかのひとつが丸〆猫、つまり招き猫。

確かに今では今戸焼きにこだわらなくても意匠がないので、日本全国、焼き物だけでなく樹脂製だろうが金属製であろうが、誰にでも量産、販売することが可能で、誰でもいつでも、今戸に出かけなくても、インターネットの通販でも手に入れることができます。

そして、この現状は丸〆猫を大量生産していた今戸焼きを文献の中に閉じ込めることにもなります。 続きを読む 今戸焼が作った丸〆猫

江戸庶民の土器を支えた今戸焼

招き猫の発祥の地、として名乗りを上げた今戸神社ですが、残念ながら古書、文献の類から両者の関連性は見つかっていません。

だからといって完全に無関係、というわけでもありません。

老婆が浅草三社権現鳥居のそばで販売した招き猫は丸〆猫と呼ばれ、現在でも台東区に地名を残す今戸で焼かれた今戸焼き。

その氏神様が今戸神社だったわけですね。

この今戸焼き、地元の土器、陶磁器を賄う日用品の窯であると同時に江戸を代表する窯でもありました。

とくに土器は有名で、瓦を量産していた痕跡が残っています。 続きを読む 江戸庶民の土器を支えた今戸焼

まずは今戸神社説から

招き猫は民族信仰から広まった縁起物といえますが、そのなかで発祥の地と名乗り出ているところのひとつが台東区の今戸神社。

では、その発祥由来をご紹介しましょう。

時代は嘉永5年というから徳川家慶の時代ですね。

場所は現在も台東区に地名を残す花川戸、そこに住む老婆が貧しさゆえに愛猫を手放しますが、ある晩、愛猫が枕元に立つと老婆に「自分の姿を作り祀れば福徳自在となる」と告げたそうです。

老婆、さっそく枕元に立った愛猫の姿を地元浅草にある今戸の窯で焼き、浅草三社権現(現在の浅草神社ですね)の大鳥居そばで売り出したところ、たちまちのうちに完売、江戸の町に招き猫が流行ったとあります。 続きを読む まずは今戸神社説から

招き猫発祥はどこ?

お祝い事があれば鯛を送る風習は「めで鯛」という語呂であることは誰でも分かることですが、祝時に鯛を添えるという風習がいつ、どのように、どこで始まったのか誰も立証できないように、じつは招き猫も起源がはっきりしていない縁起物です。

今のところ、招き猫の発祥で有力なのは東京都台東区にある今戸神社説、同じく東京都の世田谷区にある豪徳寺説、さらに東京が続いて新宿区にある自性院説、最後は西に飛んで京都伏見の稲荷大社説の4つが挙げられています。

ただし、どの説にも立証できる強い説得力を持っていないことが特徴で、いかにも民族信仰的な広がりを見せているのが招き猫の面白いところ。 続きを読む 招き猫発祥はどこ?

縁起かつぎが好きな日本の庶民

招き猫は福を呼ぶ。

縁起かつぎ・・日本人に関わらず世界中の人種が必ずドメスティックな縁起かつぎを持っているものですが、やはり周囲を見渡すと日本人ほど縁起かつぎが好きな人種はいないんじゃないか?と思えるほど多種多彩な縁起かつぎが跋扈しています。

もっともポピュラーなところでは家内安全、夫婦円満、子孫繁栄、無病息災、旅行安全、男女良縁、招福祈願などと、まるで四文字熟語のオンパレードです。

高校球児は甲子園に出るとユニフォームを洗わず、サッカー選手はスパイクの履く順序を決め、プロ雀士はサイコロを振る前に胸ポケットのお守りを必ず握りしめ、幕内力士は清めの塩を頭上高く舞い上げるかと思えば、政治家は両方に黒い目を入れるための巨大なダルマを選挙事務所に鎮座させます。 続きを読む 縁起かつぎが好きな日本の庶民