本尊には太田道灌寄与の猫地蔵あり

自性院、自ら招き猫の発祥地、と言っているわけではなく、猫との関係は太田道灌の猫地蔵寄与にとどまっていますが、これだけ猫と浅からぬ関係があれば招き猫の発祥地と回りが騒いでも不思議ではありません。

回りが騒げば認知されたも同然、自性院では参道入口に大きな石像の招き猫を設置しています。

左前足を耳元まで上げ、右手で大判を押さえるという典型的な招き猫で、唯一、青い前掛けが猫の地蔵であることを証明しています。

寺院が奉納する招き猫もきちんと前掛けをしており、左右の前足を耳まで掲げた2対の土人形が用意されています。

この招き猫、祈祷済みを授与してくれるそうで、表に梵字、裏には自性院の文字、なぜか後頭部には横長の穴が空いており、いかにも500円玉を入れるとご利益がありますよ、と言っている感じです。 続きを読む 本尊には太田道灌寄与の猫地蔵あり

太田道灌を救った自性院の黒猫

招き猫起源説、3番目は現在の東京都新宿区にある自性院説です。

時代は徳川幕府からさらにさかのぼり、室町時代後期のこと。

当時の関東、武蔵国の武将といえば太田道灌が有名ですが、この太田道灌に対抗していた武将が豊島泰経で、江戸城を居とする太田道灌と石神井城を居とする豊島泰経の間で、江古田・沼袋原の戦いが行われました。

この戦い、戦略的に見るものがあるのですが、それを語り始めるとまた脱線してしまうので今回は割愛。

ともかく戦いで劣勢となった太田道灌、陽も暮れ始めた時、道に迷うとどこからともなく黒猫が表れ、手招きするので後をついていくと自性院に辿り着き、無事、一夜を過ごして体力と戦力を回復すると戦いを優勢に持ち込むことができたので、太田道灌は猫の地蔵尊を奉納したことが、自性院起源説のひとつとなりました。 続きを読む 太田道灌を救った自性院の黒猫

門前町の商店街には猫がいっぱい

豪徳寺は名前からも分かるように寺院なので、神社と違い、願いごとをするところではなく仏様を敬うところです。

間違っても豪徳寺に行って「お金が儲かりますように」とか「彼女ができますように」などと願掛けを行ってはいけません。

物欲は仏教でも禁忌とされているのでお釈迦様から天罰が降りる可能性があります。

では、なぜ寺院で招福猫児(まねぎねこ)があるのか、と疑問を持つのは当たり前ですが、細かいことを言うと切りがないので、そこは割りきって考えてください。

豪徳寺、意外と楽しいところです。 続きを読む 門前町の商店街には猫がいっぱい

豪徳寺の招き猫は武士の作法

確かに招き猫は身体に斑点のある三毛猫が原型、そう考えると井伊直孝とゆかりのあった豪徳寺の猫が三毛猫であることは合点がいくのですが、そうすると、なぜ「ひこにゃん」が白猫なのか、合点がいかなくなります…といった些細なことはひとまず置いといて。

豪徳寺の境内にある招猫堂には、お腹に大黒様が描かれた立派な招き猫を始め、大小さまざまな招き猫が祀られています。

そして、それらすべての招き猫は立ち姿で右前足を耳のそばに掲げています。

後述しますが、招き猫には現在、さまざまなポーズと色があり、それぞれによって招福する運気が異なっていますが、この豪徳寺の招き猫ポーズはそれらとまったく無縁。 続きを読む 豪徳寺の招き猫は武士の作法

豪徳寺の三毛猫

前項でお約束の「ひこにゃん」と招き猫の関係、行きます。

「ひこにゃん」は彦根藩2代目藩主、井伊直孝にゆかりのある白猫がモデルですが、ゆかりができた場所は彦根市ではなく東京、世田谷で江戸時代のこと。

鷹狩りに出かけた井伊直孝は途中、豪徳寺の前を通りかかった時、突然の豪雨に見舞われました。

豪徳寺の前にある一本の木の下で雨宿りしていたところ、豪徳寺の和尚が飼っている三毛猫が手招きをしていたので、井伊直孝が近寄った瞬間、雨宿りしていた木に雷が落ち、井伊直孝は命を救われました。

井伊直孝はこの猫に感謝、寺として荒れていた豪徳寺に多額の寄進を行い、井伊家の菩提寺としたそうです。 続きを読む 豪徳寺の三毛猫

猫とツキと干支の性格

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