学生時代は終わってから新しい勉強を始めよ

かつての学生時代の成績がどうであれ、成功者になる性質の者は、学ぶことが好きな者である。成功タイプの者は、学校を卒業してしまってから、学ぶことを始める者である。これに反して、凡人は、学校を卒業するまでは、よく勉強するかも知れないが、社会に出てから、もう、代数や幾何、物理などその他の知識の探究については無縁となるのである。

成功タイプの者は、学生時代は遊ぶことに熱中するあまり、その成績はたとえ劣等であっても、社会に出て、成功を追求するようになると、その希望達成のため、さまざまな計画をねることになる。 続きを読む 学生時代は終わってから新しい勉強を始めよ

常に自分自身を刺戟せよ

目的の成功は一つであっても、そこへ到る道程は、さまざまに変化するものである。その変化とは、新しい試みへのチャレンジであり、絶えず、計画をねり直し、最も効率良い手段を工夫することである。このような行動に自分を駆り立てるものは、すなわち「欲望の火」である。

成功への燃えるがごとき情熱の火である。チャレンジャーは常に、明日を想い、その目は前方を見つめている。そして、常に何かやることを求めているのである。こういう人物に会うと、その人は何らかの刺戟や勇気を得ることになる。 続きを読む 常に自分自身を刺戟せよ

他人の言行不一致を責めるな

人は誰でも、自分なりの正義の念は持っている。そして殆んどの人は、一般的な道徳観念を持っている。しかし、それがしばしば、道徳律からはずれるのは、内心の欲求が、その道徳律と相反したものであり、そして内心の欲求が道徳律を打ち負かすことによって起るのである。

だから人は、しばしば、いっていること(道律的)と、やった結果(欲求的)が全然違ったものとなってしまうのである。これらの人の言行不一致を責めることは、危険な行為である場合が非常に多い。それは、ツキを自分から遠ざける要因にもなるのだ。 続きを読む 他人の言行不一致を責めるな

感謝と喜びを自分の感情の中に入れよ

感謝と喜びを、人為的に自分の感情の中に生み出そうとする人間には、成功を得る資格がある。なぜなら、感謝と喜びの感情は、成功を得た時の感情と同類の中にあるものだからである。すなわち、それは「陽の類」の中にあるものだ。

これに反して、陰の類の中にありながら、知恵と力のみに頼り、他人を圧迫しながら得た成功者は、いずれは他人の裏切り、災害、病気などによるシッペ返しを喰うものである。なぜなら、裏切りも、災害も、病気もすべて、陰の類の中にあるものだからだ。願望は「顔」であり、成功は「果」である。そして「因果は同類による」これが、仏教に説かれた「因果律」なのである。

過去に涙する者に成功者はいない

涙ながらに過去の苦闘時代を語る者に大成功者はいない。いたとしても、せいぜいそれは中小企業どまりの成功者である。大成功者に向かって、「あなたの成功の原因は?」と尋ねると、きまったように、こう答える。「運が良かったのです」彼らは決して、自分の知識や、努力、能力のせいだったとはいわない。ただ運が良かったというだけである。

では、彼らは努力をしなかったのだろうか?とんでもない。他人の何倍を上廻る努力は重ねられたのである。ただ、彼らはそれを努力と感じなかっただけなのである。彼らは、その仕事を楽しんでいたのだ。そして、得られた成功を、天からの大いなる恵みだと感謝しているのである。

「私は内気である」という者は、自己中心型の怠け者だ

「私は気が弱い」とか「私は内気で」とかいう人は、結局のところ、自己中心型で、他人への配慮に欠けているだけのことかも知れない。たとえば、未知の人同志が顔を合わせば、おたがい、会話がとぎれて気まずい雰囲気にならないよう、話のタネを探すものである。

この時、その作業を相手側だけに任せて自分は楽をしようということだから、これは一種のエゴイズムであるといって差しつかえないと思う。話し下手は、下手なりに、相手に気を使わせないよう配慮するならば、何かの話題を用意しておくべきである。天気の話、その日の朝おきた事件、三面記事の犯罪、いろいろある。 続きを読む 「私は内気である」という者は、自己中心型の怠け者だ

運とツキと干支の性格

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