未来予測の寓話!大人が読む寓話の教訓

前項で星新一の初期作品「おーい でてこーい」を紹介しました。

すでに寓話を超えて現実の世界となってしまったことが大変、残念です。

ちなみに福島県が原発の誘致を始めたのは1960年ですから、それより2年も前に本作が執筆されていたことに大きな驚きがあります。

星新一の父、星一(ほしはじめ)氏が福島県いわき市出身であることは、何かの縁があったのでしょうか。

こうなると寓話というより未来予測ですね。 続きを読む 未来予測の寓話!大人が読む寓話の教訓

「おーい でてこーい」の恐怖!大人が読む寓話の教訓

星新一の掌握小説「おーい でてこーい」の続き。

村に突如、現れた不気味で不思議な穴は都会でも話題になり、学者だとか新聞記者がやってきて散々調査するけれど、分かるのは底なしの穴であるということだけ。

村の住人は穴のあったところに神社があったので、とにかく困っていたところ、1人の男が申し出ます。

「私にその穴をくれるなら、穴も埋め立てて、神社も集会場つきの立派な社を建てましょう」 続きを読む 「おーい でてこーい」の恐怖!大人が読む寓話の教訓

星新一のショートストーリーから寓意を探る!大人が読む寓話の教訓

さて、イソップの寓話が語り継がれ、教科書にまで採用される背景にはキリスト教的道徳教訓が結末に用意されているからで、今更イソップの寓話から教訓を得るにはいささか(少なくともこのコラムを読んでいる人に限れば)歳を重ねていると言えます。

だからと言って寓話を軽視しているのではなく、むしろ年齢に相応しい寓話に触れることをお勧めします。

たとえばショート・ショートの神様と言われた星新一の小説。 続きを読む 星新一のショートストーリーから寓意を探る!大人が読む寓話の教訓

カエルとウシから社会的教訓を得るとしたら!大人が読む寓話の教訓

イソップ寓話は最終的に教訓譚とさせられてしまいましたが、それにしては残酷であり勧善懲悪という二元的西洋的文化に染まっているため、大人になってからは素直に頷けない部分が多く目につきます。

もちろん、個人の自由なのでイソップ的な寓話から企業に務めるための教訓を得る、なんてことを考えるのも勝手ですが、はっきり言って寓話からもっともらしい教訓を得られる人は社会人としてそれほど期待感が持てないと断言できます。

たとえば「カエルとウシ」の話。 続きを読む カエルとウシから社会的教訓を得るとしたら!大人が読む寓話の教訓

布教の一環として日本に流入してきた伊曽保物語!大人が読む寓話の教訓

中世ヨーロッパの道徳的観念から見れば、寓話ほど教育に最適な物語はありません。

あえて無謀を承知で言うなら、信者に取っては経典となる聖書も無神論者から見れば寓話の塊のようなものですから。

信者にしてみれば聖書は神の言葉であるから間違いはない、だからこそ信じるに値すると言うけれど、たとえ神様の言葉が本当だったとしても口述筆記したのは人間なんだから、そこに恣意が入らないとも限らないし、解釈が正しいとも限らない、というのが信者と無神論者、あるいは聖書研究家との永遠の討論のテーマとなっています。 続きを読む 布教の一環として日本に流入してきた伊曽保物語!大人が読む寓話の教訓

猫とツキと干支の性格

Copyrighted Image