和漢三才図会は正德2年(1712)に刊行されていますが、それより遡ること約15年の元禄10年(1697年)頃、尾張藩士で国学者の天野信景(あまのさだかげ)は全千巻にも及ぶ随筆集「塩尻」で厄年に触れており、14巻には「42は四二になり、死に通ず、我が国では男42、女33、異邦7歳、16歳、34歳…」と著述しています。
直接に厄年、とは書いていませんが、ここで異邦7歳、と書いていることにより、和漢三才図会における厄年の7歳と合致するので厄年であることが伺えます。
ちなみに異邦とは中国のことですね。
ここで注目したいのは42歳がしに、と読めることから縁起が悪い、と言っていること。 続きを読む 男は42(しに)女は33(さんざん)の厄年