オーストラリアに渡ったアメリカズ・カップを奪取すべく名乗りを挙げた日本。
なにしろ当時はオカネもあれば技術もあります。
ないのは経験だけ。
1992年は経験を積む年と決め込み、ニッポン・チャレンジというシンジケートを組織します。
オカネがあるといってもアメリカズ・カップへ参加し、対等に戦うためには最低でも40~50億円、その年の挑戦者となったイタリアは120~130億円の予算を持っていたといわれています。
先を急ぎましょう。
1992年、すでにバブル景気は崩壊していましたが、それでもニッポン・チャレンジはアメリカズ・カップに参戦、予選レースのルイ・ヴィトンカップで準決勝まで進みました。 続きを読む ニッポン・チャレンジ、遂に決勝進出を果たせず