名言とは少し離れますが、この直江兼続の行動がその後の関ヶ原の戦いへとつながるので、ちょっと脱線して。
さて、喧嘩を売られた徳川家康、激怒して上杉家に対し、会津征伐を実行します。
この機を逃さず、というか、家康の策にハマったといった方が正しいのか分かりませんが、動いたのは秀吉最大の家臣だった石田三成。
家康出兵後、大阪城西の丸を取り返し、さらに家康古参の家臣、鳥居元忠が守る伏見城を攻略すると家康の弾劾状を諸大名に交付します。
家康は会津征伐に関わった諸大名を集め、会津征伐から急遽、秀吉公に害を成す奸臣・三成の討伐を決定、1600年9月15日、石田三成率いる西軍と徳川家康率いる東軍による天下分け目の一戦、関が原の戦いが行われたのです。 続きを読む 恐るべし、徳川家康!直江状、その後