莊子が語る「胡蝶の夢」

夢をモチーフにした映画や小説は他にも数多くありますが、キリがないのでとりあえずは前述した2作だけに留め、休憩の最後は「胡蝶の夢」について説明しましょう。

「胡蝶の夢」とは莊子の説話です。

莊子は胡蝶(蝶のことですね)になった夢を見ました。

ひらひらと気持ちよく舞い、自分が莊子であることをまったく自覚していませんでしたが、夢から覚めた瞬間、莊子であることを自覚します。

そこで胡蝶は、果たして莊子が夢の中で胡蝶になったのか、それとも自分は胡蝶で莊子になった夢を見ているのか、と自問します。

莊子は莊子と胡蝶において形の区別こそあるけれど、主体としての自分は蝶でも莊子でも変わりなく、これは物の変化に過ぎない、と自答します。

万物は絶え間なく変化するが、本質においては何ら変わりがない、というのが説話の教訓となっています。

是非、生死、大小、美醜、貴賎。

現実で相対しているものは人間の「知」が生み出した結果であり、これは単なる「見せかけに過ぎない」と論ずる莊子らしい説話といえます。

「知」には確かな基準がないのだから考えてもキリがない。

知の判断から離れて見れば差異や区別を超えた世界が見えてくる、という世界観こそ莊子の「逍遥遊」です。

潜在意識に願望を語りかけるだけで夢が現実になる、と夢を欲望の手段として煽ることがどれほど矮小なことか理解できるでしょう?

関連記事(一部広告含む):