陰陽道は平安時代、いわば貴族以上が使っていた占いなので庶民にはほとんど関係ありません。

その厄年は陰陽道から始まったという説の有力候補は日本のいろは引きで最古の辞書と言われる「色葉字類抄(いろはじるいしょう)」に記述があるからですが、確かに漢字は厄と書かれているものの、男女における厄年の違いはなく、13、25、37、49、61…と12歳刻みで厄年が訪れるため、中国の生まれた干支が厄年というパターンと似通っています。

鎌倉時代でも厄年は平安時代を引き継いでおり、現在の厄年になるのは江戸時代になってからのこと。

平安時代の貴族社会、鎌倉時代の武家社会はともに生活環境が民衆と格差があったために厄年は正確に引き継がれているけれど、庶民文化の開花と言われた江戸時代に入ると厄年が民衆に受け入れられやすく変化するのは自然の流れともいえます。

平安時代に登場した厄年は13歳から始まりますが、この時代、女性は早婚が当たり前で、源氏物語に登場する光源氏の唯一の娘、明石の姫君は東宮の御子を数え13歳で産んでいます。

また男性の25歳は神社において重要な役目をする歳でもあったことから、厄年は役年、つまり貴族社会の中で節目となる歳になると役を負い、厄を祓ったのではないかという説もあります。

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