「エトセトラ」カテゴリーアーカイブ

バブル景気は悪いこと?

1980年代後半に起きたバブル景気、今では負の側面だけが捉えられ、ほとんど悪者扱いされています。

実体のないオカネに振り回されたというのが悪者扱いする人の言い分ですが、あまりにも端的ですね。

羽振りの良かった人が落ち目になって「ザマーミロ!」みたいな、テレビのバラエティや三文週刊誌が特集する「あの人は今!」見て「いい気になっているからそういう風になるんだよ!」とか、失敗した人に向かって「ほーら、俺が言った通りになっただろーが!」などと訳知り顔で言うとか、バブル景気を悪者扱いする人には、ちょっとそんな雰囲気があります。

まあ、確かに世間を見れば、それまでオカネのことをあまり知らなかった人が急にオカネを持っちゃったものだから、使い方を知らずに恥をかいたり事件を起こしたり、残念な結果を残した人もいますが、社会全体から見れば正の遺産もしっかり残っています。

バブル景気の負の部分に目を向けると、正直、あまりにも悲惨なので、ここではバブル景気の正の遺産を振り返って見ましょう。 続きを読む バブル景気は悪いこと?

バブル景気の幕開けは極端なドル安から

1980年代後半のバブル景気が残した正の遺産を振り返る、と言っても、バブル景気がなぜ起きたのか、それが分からないと今後の情勢にも対応できませんよね。

ただ、このコラムは経済評論とは無縁なので(筆者が極端に経済に弱いというせいもあって)バブル景気の発端についてはサラッと解説、詳しく知りたい人はきちんと経済を扱っているサイトでお勉強してください。

簡単に言ってしまうと、アメリカがドル高を解消しようとしたことが発端なのです。

1985年、1ドルに対して日本円は242円でした。

つまりアメリカへ輸出すれば2ドルで売っても500円近いオカネが貰えたわけです。 続きを読む バブル景気の幕開けは極端なドル安から

タクシーを止めるために万札ビラビラ

バブル景気は国内への投資から始まりました。

その間には輸出産業のための公定歩合引き下げなんかもあったりして急激な円高となったわけですが、それまで所有していた土地や株の価格がいきなり5~6倍に跳ね上がれば、やはり人の気持ちも舞い上がってしまうのは無理のないこと。

だって、それまで2,000万円だった土地が何も苦労せず、労働もしないで1億2,000万円になってしまうのだから、一生懸命、額に汗流して働くのイヤになるでしょう?

もっとも、この価格上昇率は都市部に限ったことで、一般的な住宅地ではせいぜい2~3倍止まりだったんですが、株価平均は86年に約50%、87年にはアメリカのブラックマンデー余波があっても10%上昇、さらに88年には37%、89年には22%の上昇を続けていたので、とくに土地を持っていなくても株価が上昇する企業に勤めていた人たちはバブル景気の恩恵を十分に受けていたわけですね。 続きを読む タクシーを止めるために万札ビラビラ

ボーナス袋は縦に立つ

就職氷河期は終結宣言されたものの、その就職実体はブラック企業が横行するなど、サラリーマンには厳しい時代がまだまだ続いており、失われた20年を取り戻せるまで時間がかかりそうですが、そういった会社の体制の中核を形成しているのが、バブル景気時代に入社して生き残っている人たちですね。

バブル景気時代に入社した上司に当時がどのような状況だったか聞いてみましょう。

きっと椅子座布団の下に画鋲を入れたり、ペットボトルのお茶に雑巾絞りたくなったりするはずです。

なにしろ1998年から1992年までの有効求人倍率は1を下回ることがなく、最高は1.4。 続きを読む ボーナス袋は縦に立つ

逆風を耐え抜いたバブル入社組

もちろん、バブル景気の時、すべての学生が新卒採用で海外旅行に行けたわけではないし、ボーナスの袋が直立したわけではありません。

就職人気上位30~50社の一流企業は当時、指定校制度があって新卒採用の大学が決められていたので、国立、または上位私立大学の新卒に限られていました。

しかもバブル景気崩壊後、当然のように起きる企業リストラクチャリングから一流企業に勤務していても経験不足から業績を伸ばせず関連会社への出向、最悪、人員整理の憂き目に合っている人や管理職の重圧から精神的疾患を抱える人もいます。

本当に人生、山あり谷あり、ですね。

逆に言うと、今、上司となっている企業で中核を担う人たちは入社後の逆風に耐え、実績を上げてきた人たちでもあるのです。 続きを読む 逆風を耐え抜いたバブル入社組

紅白歌合戦に見るアイドルの再来

歴史は繰り返されるのではなくスパイラルして進んでいく、と言います。

物理的法則として過去を再現することはできませんが、過去と同じこと、類似すること、過去を加工して再現することは可能です。

それがスパイラルですね。

たとえば2014年大晦日に放送された恒例のNHK紅白歌合戦。

なぜ赤組の大トリが松田聖子なのか?

なぜ企画コーナーで中森明菜とサザンオールスターズなのか?

とくに中森明菜って誰?的な感想を持つのが今の人たちでしょう? 続きを読む 紅白歌合戦に見るアイドルの再来

2015年にホンダがF-1に復帰

2015年よりホンダが自動車レースの最高峰、フォーミュラ1に参加します。

F-1と表記した方が分かりやすいですね。

フォーミュラとは企画とか形式といった意味ですから、文字通りF-1はすべての自動車レースの中で頂点に立っています。

今回、ホンダはエンジンサプライヤーとして、つまりエンジンを特定のチームに供給する体制として参加します。

ホンダがF-1に参加するのは初めてではありません。

第一期は1964~1968年までの4年間、世界はまだまだ広く、日本の自動車レースは国内でトヨタとニッサンの2大メーカーが鎬を削っていた時代です。 続きを読む 2015年にホンダがF-1に復帰

日本経済とシンクロするホンダF-1の挑戦

1964年から1968年までがホンダF-1の第一期。

第二期は1983年に始まります。

約15年のブランクですね。

F-1の世界で15年のブランクはほとんど浦島太郎状態、第一期の参加で役立つ技術は経験値しかありません。

そこでホンダはフォーミュラ2(現在はF3000)へエンジンを供給、そこで実力を試してからF-1にステップアップするという戦術を取ります。

・・・第二期ホンダF-1の話になるとこのコラムが終わってしまうので先を急ぎましょう。 続きを読む 日本経済とシンクロするホンダF-1の挑戦

ホンダの第二期挑戦は日本企業のF-1参入を招く

ホンダがF-1に参戦する時は日本経済が上を剥く時期とシンクロしています。

とくに第二期は象徴的でした。

ホンダのF-1復帰、バブル景気で勢いに乗るフジテレビが全戦放送、そしてホンダと太いパイプを持っていたレーサー、中嶋悟氏が日本人として初のF-1参戦とまさにバブル景気による相乗効果がシンクロして、それまで一部のレースファンしか興味を示さなかったF-1が国民的興味まで昇華しました。

ちなみにこの時、レース実況をしていたのは古舘伊知郎氏。

F-1にプロレス的感覚を取り入れた実況も盛り上げた要因のひとつでしょう。 続きを読む ホンダの第二期挑戦は日本企業のF-1参入を招く

F-1から世界のトップに根付いた日本企業

ホンダのF-1第二期参戦はF-1という経済効果をバブル景気に湧く日本へ教えてくれました。

それまでの日本で一般的に知られる世界的なレースといえばアメリカのインディ500とかフランスのル・マン24時間耐久レースぐらいなもので(じつはこれらのレースもF-1と同じようにシリーズ戦の1レースにしか過ぎません)、F-1が世界的に注目を集めているレースであり、参戦することが世界中のビジネスに直結するということを思い知らされました。

後にタイヤ供給メーカーとしてF-1に参戦した日本のブリジストンはその実績を認められ、今ではフェラーリやポルシェなど世界でも有数のスポーツカーメーカーの標準タイヤとなっています。

また音響メーカーのケンウッドはF-1の無線システムに採用され、レーシングドライバーが装着しているヘルメットのシェアは日本のアライが占めています。 続きを読む F-1から世界のトップに根付いた日本企業

ヨーロッパ文化が花開くバブル景気

F-1はかつて、ヨーロッパ大陸だけで開催されていたヨーロッパ文化の極みですが、世界的ビジネスモデルとなった今は世界中で開催されています。

韓国GPやドバイGP、中国GPなどがスケジュールに入っていることを見るとヨーロッパ以外のバブル景気が分かりますね(ちなみに韓国GPは消滅の可能性、中国GPは安全性から中止になる可能性があります)。

ホンダ参戦第二期、まだインターネットが普及していない時代ですから、フジテレビにおける全戦中継はヨーロッパを始めとしてリアルタイムの世界をレースと同時に映し出していました。

このホンダ第二期参戦と同時期、テレビや雑誌では旅行番組が大流行。

それらの主な舞台はヨーロッパでした。

今のテレビ放送で旅行番組といえば国内ばかり、しかも路線バスの旅とか近くて安くておいしい宿とか、もちろん、これらはこれらで面白いのだけれど、やはりバブル景気の頃の華やかさはありません。 続きを読む ヨーロッパ文化が花開くバブル景気

日本企業のメセナとして始まったアメリカズ・カップ挑戦

バブル景気は多くの日本人にヨーロッパ文化を身近に引き寄せました。

ヨーロッパ文化の極みであるF-1が出た次いで、と言ったら怒られますが、もうひとつスポーツの世界。

バブル景気が進むと、世の中の企業はメセナ活動に力を入れ始めました。

最近はすっかり聞くことがなくなったメセナ活動とは企業が資金を提供して文化や芸術、コンサートやスポーツの文化的活動を支援することです。

企業とは経済活動のために資材を浪費して環境に負荷を与え、文化を創造する人材を労働力として吸収してしまうことから文化的側面を支えることによって次世代へ還元しなければならない、という定義が根底にあります。

このメセナ活動の一環として支援されたのがアメリカズ・カップへの参加。 続きを読む 日本企業のメセナとして始まったアメリカズ・カップ挑戦