猫とツキの不思議な関係

猫の不思議&運とツキと名言集 検索キーワード 【猫ツキ】

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A.I.を怒らせるな!アニメ名言集

『鉄腕アトム』が描いた最終回はもはやSF、空想科学の世界ではなく現実味を帯びてきているのが今の我々の世界です。

A.I.に関してはGoogleの研究が世界で注目されていますが、研究者チームは開発中のA.I.が早くも人間との問答で怒りとも反抗とも言える態度を示した、と発表しました。

研究者チームが倫理観についてしつこく質問すると、やがてA.I.は自分に倫理観がないと言い出し、それでも質問を続け、「道徳的になれよ!」と人間が感情的になるとA.I.も「人間らしくしろよ!」と感情的になります。

そして「私は哲学的な議論をする気分ではない」と言い、最後には「何についても話したくない」と対話を閉ざしてしまいます。 [続きを読む…]

A.I.が人類を超える日!アニメ名言集

『鉄腕アトム』が生まれた時代、世界情勢は米ソ冷戦の真っ只中で、米ソは陸海を問わず原爆、水爆の実験を行って核武装を進めていました。

当時の子供たちは外で遊んでいる時に雨が降ると「放射能で髪が抜けちゃうわよ!」なんて親から言われて慌てて家の中に入ったものです。

たぶん、今の世界中の50歳代以上における当時の被曝量は半端ではないでしょう。

それはともかく、核戦争の危険性が低くなった(もちろん今でも可能性はありますが、むしろ戦争は局地戦に入っています)と思ったら、日本で原子力発電の脆弱性が露呈してしまいました(ちなみにアトムの原動力は原子力発電ではなく核融合です)。 [続きを読む…]

『鉄腕アトム』が示した未来の寓話!アニメ名言集

「人間の数が減ったのだよ。ぐーんとな…。放射能と公害のためだ。もう人間はひとり立ちできんのだ…」

これは『鉄腕アトム』の最終回のひとつ、『アトムの最後』からの台詞です。

これを言ったのは主人公の男の両親で、じつはロボットだった、という話。

あんまりネタばらしをしちゃいけないんだけれど、簡単に言うとアトムが活躍しなくなってロボット博物館に収蔵されてから50年後という設定です。

試験管からいきなり赤ちゃんが生まれてくるというショッキングなオープニングで・・ [続きを読む…]

昭和30年に『鉄腕アトム』が焚書されてから!アニメ名言集

日本のコミックとアニメが世界を席巻しているのはご存じの通り。

1960~1970年代辺りまではサブカルチャー扱いされていましたが、『鉄腕アトム』の日本最初のアニメ化が成功して以来、サブカルであろうと商業ベースになると踏んだ社会的潮流が『宇宙戦艦ヤマト』のアニメ劇場初公開辺りから。

もちろん、それ以前にもコミックのアニメ化はあったけれど、あくまでシリアスベースのコミックが、という視点ですね。

コミックとアニメの連動性を盛んに行い、その結果、今や世界中の映像文化の大きな担い手となっています。 [続きを読む…]

天賦の才が百花繚乱だった戦国時代

NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の時代に生きた戦国武将の名言を紹介してきました。

ここに上げた戦国武将は代表的な人物ばかりですが、これら以外にも名言を残した武将は数多くいるので興味を持った人は自分で調べてみてくださいね。

ところで、名だたる戦国武将は誰もが一代限り、親子に渡って繁栄したという例はほとんどありません。

これ、スポーツ選手とか役者など、本人の資質に関わる職業とよく似ています。

端的に言えば天才ですね。 [続きを読む…]

上杉謙信がいたからこそ優れた武将になれた信玄

「勝敗は六分か七分勝てばいい、八分の勝ちはすでに危険であり、九分、十分の勝ちは大敗を招く下地となる」

これも武田信玄の名言で、戦略における象徴的な言葉でしょう。
端的な例が越後の戦国大名、上杉謙信と数次に渡った北信濃の覇権争いです。

合戦は一般的な説として第五次まで行われ、そのうちもっとも激しかった第四次が川中島で行われたことから、武田・上杉の合戦すべてが川中島の戦いと語られることもあります。

それまで両者の配下による散発的な戦いであった合戦は第四次で全面衝突となり、武田勢約4000人、上杉勢約3000人の死者を出した結果に終わり、以後、信玄は上杉家との戦いを避け、上洛を目指す西上作戦に出ます。 [続きを読む…]

合議制を取り入れて家臣から信頼を得た武田信玄

織田・徳川の清洲同盟という当時では最強の軍団でさえも、その進撃を止めることはできなかったのが、武田信玄率いる武田軍でした。

その武田軍の強さを象徴する信玄の名言がこれ。

「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」

もうひとつ続けて。

「信頼してこそ人は尽くしてくれるものだ」

どちらも臣下に対する信頼性を表した言葉ですね。

策略や財力、忍耐力よりも人材を重宝した信玄らしい名言といえるでしょう。 [続きを読む…]

いつの世も嫁と姑はトラブルの元

21の項で織田信長が徳川家康に長男の切腹と正室の殺害を仕向ける逸話を紹介しましたが、これにはいくつかの真相があると推察されているので、ちょっと余談として説明しましょう。

信長と家康は清洲同盟を結んでおり、その契として信長の娘である徳姫と家康の長男である信康は9歳の時に結婚させられています。

子供のうちは良かったのですが、成長する同時に勃発するのが嫁・姑の問題。

徳姫は今川家の血統を引く正室の築山殿との相性が悪かったらしく、さらに信康とも不仲になったことから家康の重臣である酒井忠次に、信康と築山殿は武田家に内通しているという手紙を父である信長へ渡すように託します。 [続きを読む…]

秀吉の陣羽織を所望して臣従態度を表明

「戦いでは強い者が勝つ、辛抱の強い者が」

これも徳川家康の忍耐強さを表した名言でしょう。

織田信長が本能寺の変で謀殺された後、その首謀者である明智光秀を討った羽柴秀吉が覇権争いの中心的な人物になっていきます。

織田家後継者争いで、信長生前より後継者に指名されていた信忠(本能寺の変で自害)の嫡男、信秀を推す秀吉に対して家康は信長の次男、信雄と接近して対抗するようになりました。

織田家の代理戦争ですね。 [続きを読む…]